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下、と区別されているということは、かつては「上」もあったはずだが、そこには竹の生えた土台しかなかったから、〇〇下という家は一軒だけぽつりと建っている状態だった。
その家に住んでいるのは初老のおじさんで、早くに奥さんに先立たれ、子供も他県で家庭を持ったとかで、もう長いこと独りで暮らしていた。
〇〇下のおじさん、と呼ばれていたその人は、高台から段々につくられた水田を広く所有していて、毎朝その田んぼを見回るのが日課だった。登校する小学生たちと行き合うのが楽しみだったらしく、ゆるやかな坂道を県道まで下って来ると、最後の登校班が通り過ぎるまで、田んぼの土手に座って「おはよう。いってらっしゃい」と声をかけるのである。
孫がいても遠くてあまり会えないから寂しいんだろう――近くの人たちはそう言っていた。
ある年の冬のことだ。
その日、帰宅した子供たちが妙なことを口にした。
「〇〇下のおじさんが麦わら帽子かぶってた」
よく聞いてみると、半袖にサンダル履きで首にタオルを巻いて、まるっきり真夏の格好だったようだ。もうすぐ冬休みというその時期、日陰には溶け残った雪が積もり、いくら晴天だったとしても、そんな格好で出歩ける気温ではない。
「いつもみたいに挨拶してくれなかった」
なんだか険しい顔で、じっと黙って土手に立っていたのだという。
「おかしいな、どうしたんだろう?」
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