18人が本棚に入れています
本棚に追加
うちの地元は、昔はかなりの田舎で、川に橋すら架かっていなかったものだから、川を隔てた隣町に行く為には【渡し船】を使うしか術がなかった。
しかし今では、道路も橋も整備され、【渡し船】なんて使う人は、観光客くらいしかいない。
けれど、温泉と昔ながらの家並みくらいしか客を呼べるものがないこの町では、渡し船が稼働している所なんて、平日では滅多に見られないのが現実である。
では、渡し舟の船頭は、一体どうやって食ってるのか?
その問いかけに、船頭自身は勿論、この町に住む、誰もが口を閉ざしてしまう。
とある、夕暮れ時。
「今日も殆ど、客が居なかったよ」と船頭がボヤきながら、そろそろ仕事を上がろうとした時、一人の女性が声を掛けて来た。
「すみません、まだ、宜しいですか?」
時間を見ると、もう六時を回っていた。
渡し船は、基本的に冬季は陽が沈むのが早いので五時で受付終了。
夏季は陽が長い為、六時で受付終了としていた。
今は六月の初め。
夏季の受付ではあるが、既に六時を回っている為、正直言えば、断りたかったのだが、話を聞けば、久しぶりに取れた休みを一人で満喫したいと思い、遠くの都会から遥々やってきたとのこと。
急な旅行だったので、何も調べずここまで来たので、観光らしい観光は出来ていないが、ゆったりと穏やかな時間が流れるこの町が気に入った事や、明日の昼にはもうここを発たなくてはいけないので、どうせなら、夕日が沈むのを見ながら、川を渡りたいという女性の言葉に心を打たれ、船頭は承諾した。
【渡し船】の料金は、片道五百円の往復であれば、八百円だと言うと、女性は千円札を取り出した。
釣銭を渡そうとすると、女性は「こちらが無理を頼んでいるのだから、お釣りはいらない」と言って断った。
ここで、「いやいや、お釣りを……」と言う程、野暮な振る舞いはせず、丁寧にお礼を言うと、早速、船へと女性を誘導した。
定員が十名程度の木製の船ではあるが、本日は船頭と女性の二人だけ。
ゆっくりと、長い竿で漕ぎ出すと、夕暮れ時とはいえ、少しムッとした暑さが残る中、涼やかな風が川面を渡ってくる。
「気持ちがいいですね」
女性は髪を靡かせながら目を細めると、赤く染まりつつある空を仰ぎ、気分良さげに鼻歌を歌っている。
最初のコメントを投稿しよう!