1話 無名の勇者の序曲

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1話 無名の勇者の序曲

「そろそろかな」  独り呟いて立ち上がり、スカートのお尻についた草を軽く払う。小柄な体にかかる長い髪が、爽やかな風に揺れた。街の門から続く1本の下り坂が、色とりどりの花咲き乱れる野原に伸びている。季節は初夏。標高が高いこの辺りでは、まだ残雪が見られる。振り返れば、街のシンボルである教会の塔の更に奥に、急峻な山々が聳えている。スケジ。龍の棲む場所。紺碧の空の下で立ち塞がるかのように並び立つ山々の頂は、白い雪に覆われていた。 「今日は、珍しく山頂が見えるのね」  その山々のさらに奥に聳える一際高い峰を眺め、再び呟いた。山脈の最高峰フェフニアだ。普段は濃い雲が山頂を覆い隠し、全容を目に入れられることすら滅多にない。今日のように山頂まで見える日は、年に5日程度。来たる客人のためにも、その偶然がこの日に重なったことは、何かの運命なのだと信じたい。尤も、こうしたことは以前にもなかったわけではない。そして、彼等が帰ってくることはなかった。それでも、「今度こそは」と信じてもいいような気持ちになる。こんなにも良い天気なのだから。  やがて、微かに馬車の音が聞こえてきた。この道は街から外に出る唯一の道で、山の麓にある隣街に繋がっている。今日は、ある人を出迎える為にこうして待っている。  やがて、幌の付いた馬車が見えてきた。あれだ。王都からの連絡を貰ってから1月余り。隣街から情報が入ったのが3日前。大分早い。どうせ最後なんだし、もう少しのんびり来れば良いと思うのだが、そういうわけにもいかないのだろう。  それにしても、シギュルズを迎えるのは何ヶ月ぶりだろうか。雪に閉ざされる前、去年の秋に1人来たから、だいたい8ヶ月ぐらいか。冬の間は雪が積もり、この道を通るのも難しくなる。そんな時期でも来る時には来る。ただ、今年はいつもより降雪が多かった。ある程度雪が融けて隣街との交通が回復したのが1月半前。商売ではないけれど、これだけシギュルズが少ないと、仲間がめっきり減ってしまったのも分かる気がする。
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