第1章 雨乞いの里

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(たらい)に張った水に浸されていた砥石を持ち上げて、その表面を指の腹で撫でる。 充分に水を含んだことを確かめてから、スセンは傍に置いておいた鋏を手に取った。 留め具を外して分解した鋏は持ち手の付いた片刃の刀のような形になる。 砥石の傾斜に従って刃を当てると、滑らすように研ぎ始めた。 隣からカラトの真摯な視線を感じるが、無視して刃返しを削り、樋底を掘り、小刃を引いて終わったそれをカラトに渡した。 構図としては、カラトが弟子の出来映えを確認しているの図なのだが、それにしては研ぎ終わった刃を見る彼の目は輝き過ぎではなかろうかと思う。 「カラト司祭、どうでしょうか?」 現実に戻れとばかりに声を掛けると、途端にカラトがはっとしたようにこちらを向いた。 「いや、上手くなったね。これなら研ぎ直しは君に全部任せられそうだ。」 にっこり笑顔で返してくるカラトに、こちらも力のこもった笑顔を返す。 「数が多いから全部は無理ですよ~、カラト司祭も少し手伝って下さいね。」 カラトはそれに、微妙に目を逸らしたまま小さく頷いた。 スセンは弟子のカラトに、ヴァラトヴァ司祭としての仕事の指導というものを改めてしたことがない。 カラトが司祭の振りをしている時に、隣からこっそり口を出して教えたり、刃研ぎなどの技術的なものは、見て盗めが基本だ。 カラトの視線が真摯になるのも、仕方のないことかもしれない。 「それじゃ、カラト司祭は鋏全部ばらして錆び取りしといて下さいよ。」 鋏の留め具の構造は、鋏の種類によって違うこともあるが、基本的にはあまり変わりがない。 留め具を外して研いだらまた元通りにはめ直す、これが分からなければ研ぎ直しなどできない基本中の基本だ。 良い機会なので、鋏の手入れを教え込んでしまおうとスセンは決めた。 「水、惜しまないんですね。」 周りに人目がないことをちらりと確認してから、カラトは盥の水に目を向けながら、小声で話し掛けてきた。 「雨乞いに絶対の自信があるんだろうな。」 こちらも小声で返す。 「俺、雨乞いって気休めなんだと思ってました。」 カラトの言葉にスセンは苦笑を返す。 一般的な雨乞いの儀式というのは、風の神セネルトか水の神リダネラに、その司祭が雨を願うものだが、その対価は様々で地方色もある。 だが普通はカラトの言う通り、気休めとして権力者が民衆の苛立ちの気をそらす為に行うことが多い。 つまり、特殊な条件や手法を用いて雨乞いをするのでなければ、絶対の成功などあり得ないのだ。
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