五の章 女

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『私をどうやって食べてくれるの?』 『ちゃんと料理してくれなきゃイヤよ…』 『全部あなたのものよ…』 『他の人にはあげないでね…』 『あなただけのものよ…』 五の章女 この古いビルに入るのは、もう何度目になるだろう。 男は女の許に通い続ける。 そして肌を重ね続ける。 もう自分でもどうすることもできない。 ただあの眼に語りかけて欲しくて。 淀んだ快楽に溺れる。 息苦しいほどの悦楽と退廃を伴い。 女は男に語り始める。 自分のことを。 「私が産まれた街は、大昔は活気のあった港町だったのよ」 「もちろん私はその時生まれてないけど」 女は無邪気に笑いながら話す。 「明治の頃は日本一の人口だったのよ。今じゃその影もないけどね」 男は黙って聞いている。 女の言葉を一言一句洩らさぬように。 「私は古い繁華街で育ったの。昔は花街で今でもその名残があって、子どもの頃はすごく活気のある街だったのよ」 「学校の帰り、道でよく芸妓さんとすれ違ったわ」 「昔は芸妓さんも全国的に有名だったんだって。今じゃ廃れて、何とか復活に力入れてるみたいだけどね」 「今は駅前の方に人が流れて、昔ほどの活気はなくなって大変みたいだけど」 女は懐かしむような顔で話す。 「私は兄と二人兄妹で、三つ上の兄がよく面倒みてくれたわ」 「両親は小さい居酒屋をやってて、お父さんの腕が良かったのか人柄なのか、繁盛店だったのよ」 「だから私達兄妹はなに不自由なく、街の人達も皆優しかったし、楽しく暮らせてたわ」 「私ね、女子校だったの。うーん、ランクは中位かな。でも伝統ある学校で、おばあちゃん、お母さん、娘みたいにずっとその学校って子が何人もいるのよ。すごくない?」 「友達は多い方ではなかったけど、皆好きだったわ」 「彼氏はいなかったわ。これでも別の学校の男の子に告白されたこともあるのよ。好きな人いたから断ったけどね」 女の好きな人という言葉に、男は少し反応する。 昔話なのに、何だろう?この嫉妬にも似た気持ちは…。 相変わらず眼に語られながらも、男は自身の感情に複雑な思いを抱く。 「その好きな人とは結ばれたけど、結局彼は私の願いを聞いてくれなかったの」 「あんなに愛しあっていたのに。彼は私から逃げたの」 男は嫉妬に似たのではなく、はっきりと自分が嫉妬していることを認識した。
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