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「お姉ちゃんはどうして死んじゃったの?」
脚を投げ出して崖の縁に座っている桃香の隣に、男の子はマネをするように座っている。危ないから止めなさいと言いたいのだけれど、そのために自分の座り方を改めるのは嫌だった。だいたい、危ないから止めなさいなんて注意をしても、男の子には意味がない。
男の子は桃香を見上げている。表情は真剣で、はぐらかすのをためらってしまう。
「……私が死んだ理由はね。上司に嫌がらせをされたからだよ」
「上司って偉い人?」
「偉いんじゃなくて、偉そうなの」
「へぇ……お姉ちゃんよりも偉いってことは、お姉ちゃんよりももっと年上なの?」
「そうよ。お姉ちゃんのお姉ちゃんなの。だからもうおばちゃんね。いや、おばあちゃんよ。ヨボヨボのシワシワ」
実際はそんなことはない。もう四十代だというのに、憎たらしいほどの肌つやだ。よっぽどストレスに縁がないのだろう。その代わり、男にも縁がないようだけれど。
「そのおばあちゃんはね。私の前ではすごくいい人なんだけど、私がいないところで悪口を言うんだよ」
「どんなことを言うの?」
「仕事さぼってるとか、会社の男に色目使ってるとか、臭いとか」
臭いのはどっちだ。あんたの香水の方がよっぽど臭い。
「そうなんだ。それで、お姉ちゃんは死んじゃったんだ」
桃香はうなづいた。
ここに来るといつも子供の頃の感覚を思い出す。目に映るもの全てが美しく見えた。
けれど、そんなものは幻想だ。幼い桃香が辛い思いをしないように、誰かが守ってくれていた。きっちりと誰かが傷ついていた。
今度は桃香の番だ。もう誰も助けてはくれない。自分を自分で守るしかない。それだけで精一杯なのに、さらに他の誰かを守ることを要求される。
本当に生きることは辛い。
「私はもう死んじゃったから、辛いことはないよ。君はどうなの? 辛いことはある?」
「わかんない。でも、悪口はあまり言われないよ」
いいな。辛いことがあるかと聞かれてわからないなんて。それは悩みがないのと同じなんじゃないのか。
けれど、桃香は男の子のことを思うと胸が痛む。
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