蝉時雨に沈む

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 台風の日はわかめラーメンが食べたいとのたまい、出先から戻った支社長が薄毛をべったり頭に張り付かせた姿を見た僕をわななかせ、出張土産にご当地テディベアを指名して僕からと言って前田課長の事務椅子に置く(某子どもテレビ番組で品の無い発言をした子どもが熊のぬいぐるみに置き換えられたという都市伝説があるのだ)。  そういう人であり、多少の迷惑はあるが、だからこそ気兼ねなく一緒に仕事ができるのだった。  送別会は件の沖縄料理店で行われた。   捧げ持った茶色の瓶からグラスに黄金色の液体が注がれる。黄金にいただく純白の泡冠(あわかんむり)は七対三のまさしく黄金比。このコツはやはり八尾さんから学び、当の恩師のグラスに注ぐというのは妙な心地がした。  彼女はこの会社に勤めて五年、そのうち二年半を僕と組んで過ごしたという。  寂しくなります、と一応は殊勝に伝える。社会に出て初めて得た先輩はグラスに口を付けながら器用にも柳眉をひそめた。何を今更、というわけだ。  全部無駄になるね、彼女は上唇に泡をつけたまま言う。ビールの注ぎ方も、上司のマグカップの見分け方も、謝罪に伺う際の菓子折りの選び方も。  それこそ何を今更、だった。    僕が入社したのは三年前の秋。留学から戻り、同時に恋人との結婚を決めたのだが、恋人は某地方に展開する書店チェーン創業者の一人娘だった。社長令嬢の婚約者となった僕は、義父の旧友が人事部長を務める教材会社へ修行に出された。ゆくゆくは書店チェーンの跡取りとなるべく、三年の約束で。     
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