蝉時雨に沈む

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 特別扱いはしないと言われていたが、社内では公然の秘密であり、まったくフラットでいられるはずもない。現場にしてみれば、三年でいなくなるとわかっている若造に真面目に仕事を教えるのは馬鹿らしく、上とつながりがあるのは煙たく、また打ち解けるほど本人に魅力が感じられるわけでもなし。  僕も半端にやる気を出しては迷惑になるという建前から積極的に動かなかった。波風を立てないをモットーに地中で息を潜めるように。数年我慢すれば、土から這い上がり、羽化して、自由に飛び回れる。そう自身に言い聞かせて。結果、気を使われつつ遠巻きにされ嫌味も言われるというなかなかに希有な体験をさせてもらった。  そして入社から半年後、見るに見かねた支社長が、八尾さんに僕の面倒を見るようにと指示したのだった。  寂しくなるという僕の言葉にも、全部無駄になるという八尾さんの言葉にも、湿った別れの哀惜ではなく、乾いた台詞の白々しさが漂っていた。出来レースの結果とは、こんなものだ。  ――猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、未来の社長にビールのコツ。ああ、意味逆になっちゃうか。  八尾さんの、すうと目が細められるだけの微笑が浮かぶ。  この手の冗談とも嫉みともつかない台詞は誰からも何時でも何度でも浴びせられ、受け流してきた。この不謹慎な女先輩から発せられるのは、意外にも――そう、不謹慎なのに意外にも――珍しかったが。     
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