出会った時から腐れ外道

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出会った時から腐れ外道

「ねえ、クレオパトラ。別に姉妹って設定じゃなくても、恋人同士って事にすれば、一緒の部屋に泊まっても怪しまれないんじゃない?」  その日の夕方、次の宿場を前にしてアリスはふと、頭に引っ掛かっていた疑問を口にした。 「分かってないわね、アリス。恋人同士っていうのはね、宿屋ではものすごく煙たがられるのよ。だからチップをたんまり払わなければいけないの。チップをケチろうものなら、部屋の前で一晩中聞き耳を立てられるんだから。だからチップをケチるには、姉妹って設定が一番いいのよ」 「なるほど。そこまでは考えてもみなかったなあ」 「まあ、私と一緒の部屋に泊まるのも恥ずかしがってたアリス君じゃ、そこまで頭が回らないのも当然よね」 「余計なお世話ですよ、クレオパトラさん」 「まあ、拗ねちゃったの、アリス君? 可愛いんだから」  そう言いながらクレオパトラは、後ろからアリスに抱きついた。そして耳元で 「今朝はありがとう、アリス」  そう囁いた。 「でも考えてみたら」  再びアリスの横に並ぶと、クレオパトラは手を頭の後ろで組みながらそう言葉を発した。 「アリスはともかく、私だけは気持ち良くなれるのよね」  一瞬、何の事か分からなかったものの、漸くその言葉の意味を理解したアリスは、暫く顔を引きつらせた後、言葉を発した。 「クレオパトラさんてさあ」 「なあに、アリス君?」 「考えてみたら、出会った時から腐れ外道だったよね」 「お褒めいただき、どうもありがとう」 「いや、褒めてないから!」 「漸く王都だ! 長かったような短かったような三日間だったけど、漸く王都だ!」  王都ワレコランドリアにある中央銀行本店の転送ゲートから出て来たアリスは、表通りに飛び出すと、田舎から出て来たおのぼりさんのように、はしゃいだ声を出した。 「全く、アリスったらそんな大声を出しちゃって、恥ずかしいわね。仕方ない。ここはシティガールのこのクレオパトラさんが、お洒落な都会ライフを伝授してあげ……」  しかしそう言い掛けた途端、クレオパトラは舌をもつれさせた。 「いたたっ! 舌噛んじゃった」 「格好つけようとするからでしょ。三年も田舎暮らししてたんだから、無理しないの、クレオパトラさん」 「え~ん、酷いよう。アリスがこのシティガールのクレオパトラさんを、田舎者扱いするよう」 「はいはい、分かった分かった、分かりました」  そう言ってアリスはクレオパトラの頭を撫でた。  しかしその時だった。中央銀行の中から出て来た一人の若者が、不意にアリスにぶつかった。  デレデレした顔で、子猫のように舌先まで口から出していたクレオパトラは、再び舌を噛んだ。 「いたたっ!」 「おっと、失礼。急いでいたもので申し訳ない……って、アリス!」  謝りながらアリスの顔を見た若者は、驚いたように叫んだ。 「え? あ! サーニャ!」 「え? 誰? アリスの知り合い?」  舌の痛みも忘れたかのように、クレオパトラが驚いた顔で尋ねた。 「ああ、クレオパトラ。紹介するよ。彼はサーニャ・ハッシュ。僕とアカデミーで同期だった観測者だよ」  アカデミーとは観測者を養成する教育機関である。多くの観測者はこのアカデミーを卒業後、見習い観測者として師に付き、ジオメトリーを更に究めて行くのである。 「まあ、アリスと同期! って事は、やっぱり背の高い女子小学生ではないって事ね」  サーニャ・ハッシュもアリス同様、中性的な容姿をしていた。 「ははは。そう言えばアカデミー時代は、アリスと二人で良く間違えられたな。アリスなんかそれを悪用して、良く小学生料金で劇場に入ってたし」 「まあ、アリスったら、昔からそんな悪知恵が働いていたのね」 「いやいや、クレオパトラさんには言われたくありませんなあ」 「そう言えばアリス、さっきからこの人の事をクレオパトラって呼んでるけど、まさかあのコフウ家の……」 「ふふふ。お生憎だけど、人違いよ。そもそもあの姫は死んだって専らの噂でしょ? もし私があのクレオパトラ姫なら、私は幽霊って事?」 「確かにどう見ても、あなたは幽霊には見えませんね。それにクレオパトラ姫と言えば、王都の花とも謳われた、洗練された都会の女性。あなたをクレオパトラ姫と疑ってしまうとは、僕とした事が相当うっかりしていたようです」 「あら、失礼しちゃうわね。このシティガールの私に向かって。それはともかく、改めて自己紹介させていただくわ。私は魔導士クレオパトラ。アリスと同じ、観測者よ」 「それでは僕も、改めて自己紹介を。僕は魔導士サーニャ・ハッシュ。今はエッツェン公の宮廷観測者をしています」  宮廷観測者とは、王侯貴族に仕える観測者の事である。観測者は本来自由業であり、誰にも仕えず、誰からも雇われない事を信条としていた。収入を得る唯一の手段は、観測者ギルドであるムセイオンが受けた依頼を請け負い、成功報酬を得る事のみだった。そんな観測者の収入は不安定だったが、一回当たりの成功報酬が高額だった事と、ムセイオンがどの観測者にも満遍なく依頼が行き渡るよう工夫していたお陰で、比較的楽に食いつなぐ事が出来た。だから観測者の中でも王侯貴族に仕える宮廷観測者は例外的な存在だった。 「まあ! エッツェン公と言ったら、当代きっての名君と謳われる人でしょ? 保守的な王族や貴族が多い中、王様に世界を測る事すら進言してるらしいじゃない」  王都ワレコランドリアから遥か北西にエッツェンと呼ばれる地方があった。その地を治める大貴族がエッツェン公である。  エッツェン公の元々の家名はマッティーリャだったが、マッティーリャの家名を持つ貴族は多く、紛らわしかった為、治める領地に因んでしばしばエッツェン公と呼ばれ、いつしかエッツェンを正式な家名にするに至った。 「おっと、それじゃあ僕は先を急ぐんで。アリス、クレオパトラ、今度時間が取れたら、ゆっくり王都見物でもしよう!」 「ああ。僕らは暫く大図書館にいるから、いつでも訪ねて来てくれ」  そう言ってアリスとクレオパトラは、サーニャ・ハッシュを見送った。  サーニャ・ハッシュの姿は、見る見るうちに大通りの人ごみの中に消えて行った。 「確か現当主のシュンガー・エッツェン公って、元々七分家の一つ、ティアース家の出身だったよね」 「ええそうよ。シュンガーはティアース家の生まれ。私も昔会った事があるけど、王族の中では一番まともな人だったわ」  シュンガ―・エッツェンは今から三十年前、七分家の一つティアース家の次男として生を受けた。シュンガーの父は先代エッツェン公の弟であり、ティアース家の婿だった。先代エッツェン公には子がなく、このままでは由緒ある大貴族エッツェン家が断絶してしまう恐れがあった為、シュンガーがティアース家を出てエッツェン家を継いだのだった。しかしそれは、シュンガーが王族の身分を捨てる事を意味していた。 「シュンガー・ティアースを王の後継者候補に推す声も大きかったんだけど、知っての通り、一つの家から出せる後継者候補は一人だけでしょ。それも年長者に限るって。シュンガーには兄のスイボクガーがいたから、後継者候補にはなれなかったのよ」  スイボクガー・ティアース。かつて王の後継者候補に名を連ねたものの、ミトゥ家の若君と一二を争う早さで後継者争いから降りた事で名を知られる人物である。  もちろんシュンガーも王族の身分のままであったなら、例えば兄が急死した場合、あるいは子のいない他の分家の養子となった場合、王の後継者候補となる事は出来た。しかし由緒あるエッツェン家の断絶を防ぐ為、シュンガーは敢えてその可能性を捨てたのだった。 「ティアース家と言えば、かつて筆頭執政官として名を馳せたラッコ―・シラカー公も、ティアース家の生まれだったよね」 「彼もシュンガーと同じく次男でね。遠縁の貴族のシラカー家に養子に出されちゃったのよ。もし兄が早世してたら。もし跡継ぎのいない七分家のどこかの家に養子に入ってたら。そしたら王になれたのにって言われてたわ」  執政官とは、王族である宰相や副王とともに、王を補佐し政務を執り行う役職である。特に宰相や副王が事実上名誉職だった事から、執政官は実質的な王権の代行者だった。  執政官は常に複数の者が任命され、合議制によって政務を執り行っていた。その中でも最も発言力のある執政官が筆頭執政官であり、事実上の行政府の長と言える存在だった。 「七分家から貴族の家に養子に入っちゃうと、後継者候補になる可能性も無くなっちゃうでしょ。王族じゃ無くなっちゃうから。だからラッコ―は腹いせに筆頭執政官となって、王宮で権勢を振るったって言われてるわ」 「確かシュンガー・エッツェン公のお母上の叔父にあたる人だったっけ、ラッコ―・シラカー公って?」 「そうよ。当時は王族一の英邁って言われてたらしいわ。まあ、私も言われてたけど」 「まあ、クレオパトラはさておいて……」 「もう! 何で私はさておくのよ!」 「あっ、ごめんごめん」  そう言ってアリスは再びクレオパトラの頭を撫でた。  そして彼女が顔をデレデレさせている隙に話を続けた。 「シュンガー・エッツェン公も、彼がまだシュンガー・ティアースだった頃、王族一の英邁と言われてたよね?」 「確かに私と一二を争う英邁って言われてたわ」 「何だか因果な話だなあ、ティアース家って。王族一の英邁を二人も輩出しながら、共に生まれる順番が遅かった所為で、結局王様になれなかったんだから」 「王族の間では、ティアース家の呪いって密かに噂されてたわ」 「ティアース家の呪いねえ」 「尤も、呪われたスムジーに比べれば遥かにましな呪いかも。あっちは血生臭い事件にまでなってるけど、こっちは王になれる可能性は失くしても、一滴の血も流さず、有力貴族となって王宮で大きな発言力を持ってるんだから」  元王族であり、更に由緒ある大貴族でもあるシュンガー・エッツェン公は、王宮でも相当な発言力を持っていた。 「呪われたスムジーか。そう言えばアカデミーにいた頃、そんな都市伝説を聞いたな。スムジー家の当主一家が、四半世紀の間に四人も殺害されたとか」 「緘口令が敷かれているから都市伝説扱いされてるけど、本当にあった殺人事件よ。最初は五十年前。当時のスムジー公夫妻とその一人娘でまだ赤子だったラプンツェル姫が、何者かに殺害されたの」 「一家皆殺し! じゃあ、スムジー家は!」 「後を継いだのは、スムジー家出身のトレミー862世の孫で、トレミー863世の息子に当たる人物だったわ。そしてこの人物こそが、最初の事件の犯人だと目されていたの。でも証拠は何も見つからなくて」 「でもトレミー863世の息子なら、何で王様にならないでスムジー家の後を継いだんだろ?」 「そうなのよ。皆そこを不思議がってたそうよ。そして彼自身、それを自らの潔白の根拠にしたらしいわ。王の後を継げるはずの者が、わざわざ分家を継ぐ為に殺人なんて犯すはずはないって。そう言われてしまうと、みんな納得せざるを得なかったそうよ」 「でも、事件はまだ続いてたんでしょ?」 「そうよ。スムジー家を継いだ彼は、それから二十五年後、全幅の信頼を置いていた騎士団長に殺されてしまったの。以来スムジー家は、後継ぎのないままの状態なの。他の王族達も気味悪がって誰も養子に入ろうとしないから」 「そうすると、事件は未だ迷宮入りってわけか」 「確かにそうね。二十五年前の殺人に関しては犯人は分かっているけど、動機は全く不明だわ。何しろその騎士団長もすぐに自殺をしてるから」 「何だか闇が深そうだなあ」  アリスがそう呟くと、クレオパトラも同意するかのように深い溜息を吐いた。 「それにしてもサーニャの奴、何をあんなに急いでたんだろ?」 「さあ? もしかして王都にいい人でもいるんじゃない? 彼、奥手のアリス君と違って、何だか女性に積極的な感じだし」 「余計なお世話ですよ、クレオパトラさん」 「うふふ。じゃあ、私達も行きましょうか」  クレオパトラはアリスの手を取り、颯爽と大図書館に向かった。 「クレオパトラさん、僕らは大図書館に向かったはずじゃ?」 「私の鼻の感度がもう少し悪かったら、歴史は変わっていたのかも知れないが、生憎私の鼻の感度はとても良好なのだよ、アリス君」  王都の鰻屋でクレオパトラは鼻高々に語った。  王都ワレコランドリアは大河スミダイルの作る大三角州の西の端に位置していた。そしてこの地方の特産の一つがウナギだった。スミダイル上流から栄養に富んだ水が流れて来る影響により、大三角州地帯では脂の乗ったウナギが獲れたのである。  そんな特産のウナギを使った料理の中でも、最も人気があったのが蒲焼である。各店秘伝のタレをつけ炭火で香ばしく焼くその料理は、王都の通りを行き交う人々の足を、しばしば店先まで誘い込んだ。 「僕だって正直、鰻の蒲焼は大好物だけど、だからって食欲に任せてそんな贅沢しちゃったら、今後の生活費が」  大三角州で獲れるウナギは一般的に泥臭く、かつてはそれを敬遠する者もいたが、それを香ばしい美味にまで高めた料理法が蒲焼だった。爾来、鰻の蒲焼は王都を代表する料理の一つにまでなったのだが、いかんせんこの料理は非常に手間が掛かかった。そのため、庶民が月に一度口に出来るかどうかというほど、値段も高かった。 「生活費なんか気にする事ないわよ。だいたい観測者なら、大図書館付属の宿舎に無料で泊まれるじゃない」  ムセイオンの総本山でもあるワレコランドリア大図書館には、観測者が無料で泊まれる宿舎が付属していた。実際、二年前アリスが師のユークリッドと共に王都に滞在していた時に使っていたのがこの宿舎だった。 「確かに宿舎は元々そこにするつもりだったけど。何しろ大図書館での調べ物にも一番便利だからね。ただ、無料になるのって宿泊費だけで、食事はつかないからね」 「え? 嘘! そうなの?」 「そりゃそうさ。いくらムセイオンの総本山だからって、そこまで甘くはないよ」 「何てこと! 予定が狂っちゃったじゃない! せっかく久しぶりの王都で、贅沢三昧出来ると思ってたのに」 「いや、クレオパトラさん。僕らは贅沢三昧する為に王都に来たわけじゃないでしょ?」 「どうしよう、アリス? もう蒲焼注文しちゃったじゃない。こうなったら後は……食い逃げするしか手はないわね」 「流石にダメでしょ、それは」 「もうっ、アリスったら、ほんとっ、度胸が無いんだから!」 「度胸関係ないっすから、クレオパトラさん」 「もう、仕方ない! 後先の事は食べてから考えましょ」  こうして二人は、王都名物の鰻の蒲焼を堪能した。 「何てこと! 有り金が半分になっちゃったじゃない!」 「よりによってクレオパトラさん、王都でも一二を争う高級店に入るんだもん」 「ふふふ、アリス君。このシティガールの鼻を侮っては駄目よ。並み居る鰻店の中でも最高級の鰻店を嗅ぎ分けるのが、このシティガールの鼻の秘められし能力なのだから」 「おかげで僕らは、有り金の半分を失ったわけだけどね」 「あ~ん、それを言わないで、アリス」  そう言ってクレオパトラは頭を抱えた。 「取り敢えず大図書館に行こう。あそこはムセイオンの総本山でもあるから、もしかしたら何か仕事が見つかるかも知れないし」 「そ、そうよね、アリス。考えてみれば、観測者が天下の王都で食いっぱぐれる何てこと、有りはしないわよ。ほっほっほ! つまり私の取った行動は間違ってなかったって事だわ。ほっほっほ!」 「いや、喜ぶのはせめて大図書館に着いてからにしようよ、クレオパトラさん」  その後もクレオパトラは途中途中で何度も寄り道を仕掛けたが、その度にアリスが強引に引き戻した。  そして這う這うの体で二人は海辺にある大図書館に辿り着いた。 「もう、アリスったら。私の手を握りたいのなら、素直にそう言いなさいよ。私の手を強く握って引っ張るもんだから、手が痛くなっちゃったじゃないの」  最早アリスには言葉を返す気力も無かった。 「あんっ、アリス。ちょ、ちょっと。そんな眠そうな目をして、私に寄り掛からないでよ」  そう言いながらもクレオパトラは、立ったまま居眠りをするアリスを優しく抱き抱えた。  大図書館入口に続く緩やかな石段には夕日が差し込み、さわやかな風が吹いていた。  クレオパトラは上空を舞う海鳥の鳴き声を聞きながらゆっくり膝をつき、何とか石段に腰掛けると、アリスを膝枕し、風に微かに揺れる彼の髪を撫でた。
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