始まりの巨人

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始まりの巨人

「ふっはっは! ユークリッドの弟子よ! ここで会ったが百年目!」  観測者ギルドで魑魅魍魎退治の仕事を探していたアリス・タルタルの前に、見覚えのある中年の男性がけたたましい声と共に姿を現した。 「くっ、おっさんめ! しつこ過ぎるぞ! 大体しつこいおっさんは嫌われるんだぞ!」 「嫌われてませーん! 我輩尊敬されてまーす!」  大魔導士エラソーナ・スッテンテン。ユークリッドと双璧をなす観測者と目される男である。故に彼は数多の観測者達から尊敬されていた。 「ほう! 尊敬されていると? では、あの人達は?」  観測者ギルドは別名ムセイオンとも呼ばれていた。そこではムーサイと呼ばれる女神達を祀っていた。女神エロメス・トリスメギストスもムーサイの一柱である。そんな観測者ギルド、ムセイオンに集まる者達はエリート然としている者が多い。そんな中、そこには見るからにヤバい筋の者と思しき人物が数名立っていた。 「くっ、借金取りめ!」  一言そう言うと、大魔導士エラソーナ・スッテンテンはムセイオン奥の勝手口へと一目散に走り去った。  エラソーナ・スッテンテン。ユークリッドと双璧をなす大観測者だが、何故か金運が悪く、しばしば借金取りに追われていた。 「ちょっともう! 静かにしてくれる? ここはジオメトリーを究める学術の徒が集う場所なんですけど」  ムセイオン奥の図書室から、何やら殺気立った気配の若い女性が姿を現した。 「って、あらまあ。あなた女子小学生でしょ? ここはあなたが来るにはまだ早すぎるわ」 「いや、二十歳過ぎてるし男だし」 「あらまあ。私ったらてっきり」 「まあ、よく言われるからいいけどね」 「ふふっ、変わった男性ね、あなた。私の周りの男と言えば、もっとこう……」 「雄々しい感じ?」 「うーん、雄々しかったり、騎士的だったり、紳士っぽかったり、そんな感じかな」 「ふーん。いずれにしても僕とは縁遠い感じだね」 「そうなのよ。だから私てっきり」 「なるほどね。何か今の話聞いてると、君ってどこかいい所の令嬢って気がするんだけど」 「あらそう? それはご想像にお任せするわ。ところであなたって、大魔導士エラソーナ・スッテンテンと知り合いなの? さっきあなた方が話している声が聞こえたわ」 「別に知り合いたくて知り合ったわけじゃないんだけどね」 「ふーん。何か深い事情がありそうね。良かったら力になるけど」 「本当に! だったら何か仕事を世話してくれないかな。さっき受付に聞いたら、魑魅魍魎がここ暫く現れてないっていうからさ。こんなの珍しいって」 「なるほどね。でもお生憎様。実は私も魑魅魍魎が暫く現れていないおかげで、困っている口なのよ」 「え? って事は、もしかしてここにいる観測者の殆どって?」 「金欠病ってやつね」 「参ったな、それは」 「ねえ。ここで会ったのも何かの縁だし、仕事にありつけそうな他の町まで、一緒に旅をしない?」 「そうしたいのは山々なんだけど、もう一つ他にやる事があって」 「他にやる事?」  そう聞き返した彼女に、アリス・タルタルは声を潜めながら 「ここではまずいから外で話そう」  そう言って彼女の手を取り、人もまばらな中庭へ出た。 「ちょっと、どういう事!」 「あまり人が多い所じゃ憚られる話なんだ」 「え? もしかして他にやる事って、何か犯罪がらみとか?」 「いや、そうじゃないんだけど。他の観測者に聞かれると色々とやりにくくなりそうで」 「やりにくくなりそう? 何それ? そもそも観測者は他の観測者の自由を最大限尊重しなければならないって、観測者になった時に誓ったはずでしょ?」 「いやまあ、建前はそうなんだけど、世の中には実際、しがらみってもんが……」 「しがらみが何よ! そんな下らないもの、ぶち壊しちゃいなさいよ!」 「いや、だからこれからそれをやろうと」 「これからそれをやる? はっ、あなたまさか! 世界を測ろうと?」 「うん、そのまさか」 「え? って事は、もしかしてあなた、エラソーナ・スッテンテンの弟子だったの。あっ、だからさっきエラソーナ・スッテンテンと話してたのね」 「いや、違うし。あんなおっさんの弟子なんて死んでも御免こうむるし」 「え? だって世界を測ろうだなんて馬鹿げた事を公言して憚らない観測者なんて、エラソーナ・スッテンテンか後は……」 「えーと、君が考えているもう一人の方。僕の師匠は」 「え? って事はあなた」 「そう、僕はユークリッドの弟子、魔導士アリス・タルタル。ムーサイが一柱の女神、エロメス・トリスメギストスの命により、世界を測る旅をしている」 「まあ、あなた女神エロメス・トリスメギストスにも会ったのね。ならば私も自己紹介しなければならないわね。私は魔導士クレオパトラ・コフウ」 「クレオパトラ・コフウ? ……って、まさか!」 「そのまさかよ。王家の七分家の一つ、コフウ家の一人娘クレオパトラ。それが私」  王家には七つの分家があり、王家直系の後継者がいない場合、分家から後継者が選ばれるしきたりになっていた。それぞれの分家はミトゥ家、キッシュ家、オ・ウォリー家、ティアース家、フィツヴァ・スィー家、スムジー家、そしてコフウ家である。 「君があの有名なコフウ家の姫君、クレオパトラ! あの王族一の英邁として名高い」  トレミー868世の後継を巡っては、七つの分家が熾烈な争いを繰り広げていた。中でも抜きん出ていたのが、キッシュ家とフィツヴァ・スィー家、そしてコフウ家であった。  キッシュ家の若君モッツァレラ・キッシュとフィツヴァ・スィー家の若君ヨッスィーツ・フィツヴァ・スィー、そしてコフウ家の姫君クレオパトラ・コフウが有力三候補だと目されていたのである。しかし…… 「え? でも、クレオパトラ姫って、病死したとか毒殺だったとかって噂が……」  三年前、王の後継者候補は当時十二歳のモッツァレラ・キッシュと当時二十七歳のヨッスィーツ・フィツヴァ・スィー、そして当時二十二歳のクレオパトラ・コフウにほぼ絞られていた。  しかしそんなある日、突如クレオパトラ死亡との怪情報が流れたのである。  以来三年、有力三候補の争いからクレオパトラの姿は消え、キッシュ家とフィツヴァ・スィー家の二大候補による熾烈な争いが繰り広げらる事になった。 「ああ、あれね。あれはそんな噂をわざと流したのよ。私としては王になるなんて真っ平ごめんだったから。だから後継者争いからさっさと抜け出す為に、死んだって噂を流したわけ。そんな噂がコフウ家内部から密かに流れれば、立ち所に尾ひれが付いて世間に広がるでしょ?」 「無茶な事するね。折角王様になれたのに」 「王なんてあなたが思っている程いいものじゃないわ。そもそも私は王に君臨するなんて向いてないし」 「そうかな? 僕は有力三候補の中では、クレオパトラ姫が一番だと思ってたけど」 「それはどうもありがとう。でもね、私には無理なのよ。王として君臨するのは」 「またまたご謙遜を。クレオパトラ姫ともあろうお方が」 「謙遜じゃないわ。って言うか、ここでは姫なんて付けないでクレオパトラって呼んで。私もあなたの事をアリスって呼ぶから」 「分かったよ、クレオパトラ。で、謙遜じゃないって?」 「どっちかというと、物理的な問題ってところかしら。シュレーディンガーの猫耳メイド病ってご存知?」 「何それ?」 「狭い所に押し留められると、足の大きさが大きくなったり小さくなったりと目まぐるしく変化しちゃうの」 「え? あるの、そんな病気?」 「世界でも私しか罹ってない奇病だそうよ。だから私、王にはなれないの。王なんて一日中窮屈な椅子に座ってなきゃいけないでしょ?」 「あ! なるほど! そしたら足の大きさが目まぐるしく変わるから、長さの基準が定まらなくなると」 「その通りよ、アリス。何と言っても王の第一の務めは、自らの足の大きさで長さの基準を定める事。それが出来ない者に王は務まらないでしょ」 「なるほど。それで君は王になる事を諦めたと」 「それもあるわ。でも何より、私は王に何てなる気がなかったの。だって私は観測者として自由に生きる事に憧れていたんだもの」 「ふーん。そんなものかねえ」 「そんなものよ。あなただって憧れて観測者になったんでしょ?」 「あっ! 言われてみれば、そうだった! 師匠に出会って以降、すっかり忘れてた!」 「何か大変そうね、ユークリッドの弟子も」 「お陰様でね」 「ねえ、アリス」 「何、クレオパトラ?」 「世界を測るのはいいとしても、その間どうやって食べて行くつもり?」 「え? あ! そう言えば何も考えてなかった。今まで大きな町に行けば食いっぱぐれないとばかり思ってたから」 「問題はそこよ。そこなのよ。私だってつい最近まではあなたと同じように考えていたんだけど、そうは問屋が卸さない事態になっちゃったわけよ」 「つまり世界を測るどころじゃないと」 「今一番にやるべき事は、食べて行く手段の確保でしょうね」 「う~ん、厄介な課題だなあ。魑魅魍魎退治の次に多いのは公共工事関係の仕事だけど、肝心の公共工事が最近減ってるしなあ」  ジオメトリーの使い手、観測者の仕事の大半は魑魅魍魎退治であった。その次に多かったのが公共工事に関連する測量の仕事だったのである。しかし近年、公共工事そのものが激減していた。トレミー868世の治世も残り短いと判断した議会により、新規公共工事の予算案が次々に却下されていたのである。新たな王の即位により長さの基準が変われば、工事に関する全ての長さを新たな基準で書き直さなければならず、それまでの公共工事に大きな無駄が生じてしまうからである。 「ユークリッドやエラソーナ・スッテンテンのように、一部の観測者が王の足の大きさによらない長さの統一基準を求めるのも、王の治世末期に度々公共工事が激減してしまうって事情もあるらしいわ」 「だろうね。議会としては、予算の無駄遣いを極力減らす為に、王様の治世が残り少ないと判断した時点で、公共工事の予算を減らすのは仕方ない話だしなあ」 「そういう経済的事情がまた、後継者争いに複雑に絡んで来ちゃったりするのよね。後継者争いからさっさと抜け出して来ちゃった今だから、他人事みたいに言えるんだけど」 「ほんとっ、厄介な話だなあ」 「それはそうなんだけど、食べて行く手段は、何としてでも確保しなくてはいけないわ」 「仕方ない。またきこりの仕事とかで、食いつないで行くか」 「それも一つの手ね。でも観測者の仕事に比べると、労働時間が大幅に増えちゃうでしょ。そんなんで世界を測るなんてこと出来るの?」 「だよねえ。観測者の仕事の一番魅力的な所って、短い労働時間でも食いっぱぐれないって所だしねえ」 「私も正直言って、人生の大半を労働時間に捧げるなんて、真っ平ごめんだわ」 「流石王族。言ってくれるね」 「どちらかって言うと、観測者らしいって言って欲しいわ」 「それを言われちゃ、返す言葉もありませんなあ、クレオパトラさん」 「うふふ」  クレオパトラはそう微笑むと 「じゃあ、アリス。そういう事でいいわね」  アリス・タルタルの手を取り、中庭から建屋内に戻ると、正面入口を通って表へ出た。 「ちょっと、クレオパトラ。どこへ!」 「うふふ、行先は一つよ」  そう言いながら、ムセイオンの脇の路地裏に入ると、そこに見覚えのある一人の人物が姿を現した。 「ふっはっは! ユークリッドの弟子よ! 待ちわびておったぞ!」  そう言うと同時に、エラソーナ・スッテンテンは魔法陣でアリス・タルタルを拘束した。 「え? あ! ちょっと、クレオパトラ!」 「御免ね、アリス。私も食べて行く為には仕方なくて」 「ふっはっは! その通りだ、ユークリッドの弟子よ! かつての王族の栄光も、もはや見る影もないこの者は、自らの魂を我輩に売り渡す事を選んだのだ。ふっはっは!」 「おい! こら! クレオパトラ! 言っておくけど、このおっさんも金なんか持ってないぞ! てか、借金取りに追われている始末なんだぞ!」 「ふっはっは! ユークリッドの弟子よ! 彼女もその事はご存知だ。しかし我輩が金を持たずとも、持っている奴はいるだろう?」 「言っておくけど、僕だって大して持ってないぞ!」 「ふっはっは! ユークリッドの弟子よ! 誰も貴様なんぞの持ち金などに期待していない!」 「え? じゃあ、一体誰の? ……って、あ!」 「その通りだ、ユークリッドの弟子よ。我輩の目的は貴様の師匠、ユークリッドだ! 何でも奴は、銀行の貸金庫に貴重なお宝を預けてあるそうじゃないか。奴の事だ。今まで散々儲けた金を金銀財宝に変え、税金逃れの為に銀行の貸金庫に預けているに違いない。そんな金の亡者の奴に、我輩自ら鉄槌を下す。貴様を人質に奴が不法に貯めた財産を身代金として巻き上げてやるのだ。ふっはっは!」 「おい、おっさん! あんた何か勘違いしてるぞ! 師匠が銀行の貸金庫に預けてあるのは金銀財宝なんかじゃないぞ!」 「へ? 何だと?」 「師匠が銀行の貸金庫に預けてあったのはこれだ!」  そう言うとアリス・タルタルは腰の巾着袋からものさしを取り出し、かざした。  すると今まで彼を拘束していた魔法陣の光が、見る間に砕け散った。 「そ、それは!」 「え? それって?」  今まで黙って二人の遣り取りを聞いていたクレオパトラも、思わず素っ頓狂な声を上げていた。 「オリハルコンのものさしだ!」 「オ、オリハルコンのものさし!」  エラソーナ・スッテンテンとクレオパトラが同時に声を発した。 「そ、それが意味する事は……ユークリッドの奴が銀行の貸金庫に預けていたのは、金銀財宝ではなかったという事か……」  エラソーナ・スッテンテンはうなだれ、がっくり肩を落としながら呟いた。 「確かにオリハルコンのものさしは、物凄く貴重な秘宝だけど、でもその反面、質屋に預けても一銭にもならないのよね」  そう言いながらクレオパトラは、スカートの裾をめくり、太ももに取り付けたホルダーから見覚えのあるものさしを取り出した。 「え? 君もオリハルコンのものさしを?」 「我がコフウ家に代々伝わる秘宝よ」 「何だ、ユークリッドめ! 何を銀行の貸金庫に預けてあるかと思えば、オリハルコンのものさしだったとは! 紛らわしい真似をしおって!」  そう言いながらエラソーナ・スッテンも懐から無造作にオリハルコンのものさしを取り出した。 「ってか、おっさんも持ってるじゃん!」 「まあな。こいつだけは質屋が引き受けてくれなかったものでな」 「ってか、質入れしようとしたのかよ!」 「いや、当然だろ?」 「そうよ。当然よ」 「あんたらねえ」  愕然とするアリス・タルタルの横で、エラソーナ・スッテンとクレオパトラ・コフウが勝ち誇ったように仁王立ちしていた。 「おっさんはどこでそのものさしを?」  アリス・タルタルは気を取り直すと、エラソーナ・スッテンに尋ねた。 「貴様の師匠と同じく、エロメス・トリスメギストスからだ」 「え! おっさんも!」 「何だ、貴様。我輩がエロメス・トリスメギストスからオリハルコンのものさしを授かるのが、そんなに似合わんか?」 「うん。全くもってこれっぽっちも!」 「ぐっ、貴様! はっきり言いおって! 師匠も師匠なら、弟子も弟子だ! ふんっ! 貴様になどもう用はない! ではさらばだ! 縁があったらまた会おう。ふっはっは!」  エラソーナ・スッテンはそう言い残して姿を消した。 「で、クレオパトラさん?」 「や、やあ、アリス君。お元気?」  クレオパトラは顔を引きつらせながら、アリスに微笑んだ。 「お元気ですよ、お陰様で」 「そ、それは良かったわ。と、ところでアリス君、気のせいか顔が怖いんだけど。私は君の可愛い顔が見たいんだけどなあ」 「そうですか? クレオパトラさん。それはそれはご期待に沿えずに申し訳ない」 「ねえ、アリス。もう許して! ほんとっ、私が悪かったから!」  クレオパトラはそう言いながらアリスを拝み倒した。 「全く、僕とした事が。コフウ家の姫ともあろう者があんな事をするとは想定してなかったから、思いっ切り油断したよ!」 「ほんとっ、悪かったわ、アリス。私もお金が必要だったから、つい魔が差して」 「つい魔が差してねえ」 「本当よ、アリス! あっ、そうだ! お詫びと言っては何だけど、アリスが興味を持ちそうな話をしてあげるわ。王族のみに伝わる、門外不出の話よ」 「王族のみに伝わる話?」 「ええ、そうよ。始まりの巨人の話」 「始まりの巨人?」 「そう。かつて一人の巨人がいたの。もうかれこれ八千年も前の事なんだけど。彼はね、世界中を歩いて旅したの。しかもただ旅をしたわけじゃないわ。彼はね、世界の大きさを測っていたの。自らの足の大きさを基準にして。だから彼の足の大きさが、最初の世界統一の長さの基準になったの。そして彼は世界を統べる王となった。そう、彼こそが世界最初の王トレミー1世。王族の間では古より始まりの巨人と呼ばれている者よ」
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