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彼はまず部屋から出ることにした。用を足すために自分の部屋を出ることはあっても外に出る目的でこの自室の扉を開けたことはない。適当に服を身繕い、自室を出、廊下をぬけて外界と自分の空間を隔てる玄関の扉に手をかける。ドアノブを握る手が汗で濡れる。乾いた唾を呑み込みながら、軽く捻るようにして、彼はゆっくりとその扉を開いた。
そこは数か月ぶりの子供の頃よく遊んでいた見慣れた夜の街、
ではなかった。
そこに広がっていたのは見知らぬ巨石群と見渡す限りの草原、彼が立っているのはあたりが一望できる小高い丘、そしてそばには錆びれた扉と彼を見下ろすように立つ大きな一本の木だった。
彼は息を呑んだ。
そして自分の心臓が早鐘を打っていることに気づいた。
現実を受け入れられない。
頭の中は縄に首をかけた時のようになにもかもが混ざり合っていた。
そしてひとつ息を吸った。
あたりを見回し、最後に後ろを振り返った。
そこにはまだ自分の見知った玄関とそれに続く廊下が伸びていた。
帰れる。
そのことに安堵しながら彼はもう一度周りを見渡し、ドアノブをはなして外に出た。
その瞬間今までそこにあった見慣れた風景自室へつながる廊下と玄関はあたかも最初から何もなかったかのような空に変わっていた。
残ったのは錆びれたドア枠がひとつ。
彼は嫌な汗を背中に感じながらその場に座り込んだ。
何十分が経っただろう。
自分の脇にドア枠を見やりながら彼は寝そべっていた。
どうしようもない。
それは諦めと開き直りから来る余裕で彼は心の中でこれでもいいと思っていた。
何もなかったあの日常に比べればどれだけマシか。
否。
本当は多くのものがあちらにあってこちらには何もないから安心しているのかもしれない。
彼が懐疑的に思いながらも待ち望んでいた日常。
何もないがそれゆえに責任も重圧も焦りも虚無感も疎外感も孤独もない。
そして彼は思い、それは前触れもなく起こった。
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