サブカル女の転生

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サブカル女の転生

「お疲れ様でしたー」 「はい、お疲れさん。来週もよろしくねぇ」 (あー、疲れた。もうバイトかったるいわぁー)  コンビニの裏口から出て来た女は夕暮れの赤く染まった空に向かって、Yの字になって背伸びした。  その女、樫本咲世は面倒な労働を終え駐輪場へと向かう。そして停めてあるお気に入りの愛車を満足そうに眺めると、愉悦の笑みを浮かべた。  そのバイクはシートを中心にして不思議な形状をしたシンボルや記号を織り交ぜ、綺麗な法則性を持ってステッカーが貼り付けられていた。  これはホームセンターで売っている塩ビのシールを自分でカットしたお手製の物で、自らの作品としてデザインしたものである。  咲世は小さい頃からクラスに一人はいる絵が上手な子供だった。そのまま自分の才能を活かし、成績はギリギリだったが美大に入学する事になる。大学に入ってからは愛車に施した様な少し奇妙な作品を作り続けていた。  元来内向的で社交性が無く、小学生の頃から居場所は主に美術室か図書室だった。 その頃にチベット仏教の胎蔵界曼荼羅や六道輪廻の絵画に出会い心を奪われる。仏画一つだけ見ても凄いのに、それらが集まり奥深いメッセージへと変わる事にさらに感銘を受けた。  それをきっかけに曼荼羅の世界に没頭して、関係する世界中の様式を知るようになった。その中で梵字による神仏を表す方法を学び、今度は記号やシンボルにも興味を持ち始める。  ヨーロッパにおいて記号とシンボルは古代から宗教や民間の呪いに数多く登場するが、それらの意味や解釈等も夢中になって調べた。  いつの間にか錬金術や魔術、魔方陣などもその研究の範疇に入っていた。  そんな奇行を取っていたせいで周りからは変わり者と思われ、そうしている内に周囲とのコミュニケーションを取ることが無くなり、気が付くと一人でいる事が普通になっていた。  大学に入ってからは曼荼羅や魔方陣に独自の解釈を入れ、現代の感覚にあった新しい物としてデザインすることを続けている。つまりそれが彼女の創作活動だった。  自身が今着ているTシャツも作品の一つである。  これらの創作には素材や画材やらと出費があるのでアルバイトを定期的に入れているのだった。 「よーし、我が愛車よ。帰るぞ」  奇妙な絵柄が沢山描き込まれたハーフヘルメットを被り、スクーターに腰掛けると同時にエンジンをかけて駐車場から街道に勢いよく走り出した。  今日は土曜日の夕方であったが車通りは少ない。片側2車線の走り慣れた幹線道路は、いつも気持ちよく走れる通勤路だ。 (帰ったら曼荼羅の本を読んで、火曜には図書館に返さねば)  そう思うと少し急いで帰りたくなり、いつも走らない右側車線に移動してアクセルを開ける。  スクーターとはいえ原付二種は中々の加速が出て気持ちが良い。  前方には白いバンが速度を緩めていたが気にせず速度を上げると、そのバンは左車線にも関わらず突然Uターンをしようとして、大きく右にハンドルを切った。 「わああああぁー!」  咲世は咄嗟に進行方向に突っ込んで来るバンを避けようとスクーターを傾けたが、もうどうあがいても避けられない距離に車体が迫って来た。 (うわっ、だ、駄目だ!!)  バンが視界に入った時に咲世の見える世界がスローモーションに変化した。  これが事故る時に発動するという思考加速現象なのかと感心しながらも、やはり良いか解決策は見つかりそうも無い。だが何故か自分の目線が空中から俯瞰して、状況を把握していることに気が付いた。 (あれ、なんか上から見ちゃっている感じなんだけど、もう死んじゃったの? いやまだぶつかってないし……)  自分の身体は勢いを殺すことが出来ず、バンに飛び込む体制になっている。 (うわー、これは顔面から行きそうだ……)  スローモーションになった世界でもこの状況に抗うことは出来ず、ついに顔面からバンの正面に突っ込むことになった。  己の身体があらぬ方向へ曲がっていく。  しかし不思議と痛みは無く、なぜか冷静にこの状況を見ている自分がいた。  バンの割れたフロントガラスが身体のあちこちに突き刺さり、無残にも血が噴き出していく。ボロボロになった身体が吹き飛ばされ、このままだと数十メートル先に着地する勢いだ。  お気に入りのTシャツにも血がベットリと付いている。 (ああ、私、死ぬ……)  思えば、あっという間の人生だった。気味の悪いサブカル女と揶揄され、侮蔑な眼差しで見られ、悔しい思いばかりをして来た。  好きな事を語って、好きな事に夢中になって、素敵だと思ったことを信じて何が悪いというのか──。  このまま終わってしまうのはあまりにも納得がいかない。  吹き飛んでいる自分の体を見ながら思い馳せていたところ、咲世は視界の端で何か輝いている物に気が付いた。それはバンの側面にめり込んでいるスクーターと、吹き飛んだハーフヘルメットが眩いばかりにキラキラと輝く光だった。  光の正体はステッカーの魔方陣だった。周辺を巻き込むようにどんどん大きくなる光は、薄暗い夕焼けの世界を白一色に染め上げる。  その美しい光の中で咲世は意識が朦朧となり、眠くて何が起きているのか考えることが出来なくなった。 (死ぬって、こういう感じなのかな? 綺麗な光──なんだか気持ちがいい……)  咲世はやがて全身の感覚が無くなり深い眠りに落ちた。 *  どれくらい眠っていたのだろう。咲世は目を覚ました。 (死後の世界……?)  青白い月明かりで鬱蒼と生い茂る木々が見える。遠くから鳥の鳴き声も聞こえてきた。どうやら森のような場所にいるようだ。しかし生きていた時と何かが違う。  ふと見下ろすと自身が透けて地面が見えているのだ。  手をかざすと向こう側の景色が薄らと見えた。そして身体がとにかく軽い、自分の体重を殆ど感じることが出来ない。  服装はここに来る前の格好だが、マンダラTシャツは無色になっていて、ぶかぶかのデニムパンツは白く変色していた。 (まぁ、見た目通りの幽霊ってことなのよね。死んだわけだから……)  歩くことは不自由なく出来るので、とりあえず周囲を探索してみることにした。  森はどこまでいっても同じような景色が続いたが、時折リスのような小動物を見つけることもあったので、ここは自分の知っている地球かそれに近い場所だと思い少しだけ安堵した。 (気持ちよく散歩でもしていたなら良いのだけど、心細いし、暗いし、ちょっと怖いな)  とにかく移動できるなら何かを確かめたい。  良く言えば美しい原生林をひたすら気の済むまで歩いてみることにした。  長時間休まず歩き続けているが疲れは無い。既に1日が過ぎたであろう頃、ついに森が開けて道のような場所に辿り着いた。車が2台は並んで通れそうな幅でそこには轍があった。 (これは文明の兆し? 人に会える? いや、幽霊に会うなんて誰も望んで無いか……)  生前は人とあまりコミュニケーションを取らなかったが、今はとにかく不安で誰かに会いたい。  期待を胸に遙か先まで続く道のどちら側を進もうかと悩んでいる時、幼児のような笑い声が聞こえた。 (ウフフフフフ、アハハハ) (えっ! なに?)  辺りを見回しても誰もいない。  それに奇妙なことに声は頭の中で響いた為に、どこから聞こえたのか方向も分からない。 (やっと人と会ったと思ったら、ま、まさか幽霊……? あっ、まぁ、わたしもか……) (ウフフ、こんなところに大樹様がいらっしゃるわ、フフフ)  もしやと思い上を見てみると空中に体長10センチ程、背中に蝶々のような羽をはためかせて、フワフワと浮いている声の主がいた。 (え!? こ、これって、妖精じゃないの!)  4人の妖精が頭上で浮遊しており、その内の1人が目の前まで降りて来て、周囲をフワフワと飛び始めた。  その姿は現在の自分と同じように半透明であり、飛び回った後には雪のような粒がチカチカと輝いていた。 (な、なんてかわいいの! どうにかしてコミュニケーションを取りたい!)  妖精達は皆微笑みを絶やすこと無くフワフワと周辺を飛び回っていた。 (ウフフ、なぜこんな所にいらっしゃるの?) (え……? こんな所ってどういうこと? こっちが聞きたい位なのよ)  声を出したいが喉から音を出すことが出来ない。  肉体が無いのだから仕方ないのだが、せっかく人語を解する相手なのに話せないとはもどかしい。身振り手振りで、大げさな欧米人のようなジェスチャーで「分かりませーん」という感じに両手の平を上に向けて首を左右に振って見せた。  すると、そのままにしていた手の平に妖精が降りて来て、こちらに向かって膝を曲げて貴族のような挨拶をした。 (フフフ、大樹のアルマ様こんにちは) (うおー、かわいい。でもさっきから……大樹? それとアルマ様って何の事? 聞きたいが質問が出来ない。何か方法は無いだろうか……)  その時、今まで見た事が無い情景が頭の中で次々とフラッシュバックした。  ボロボロの古びた遺跡で妖精達が大きな木の上に集って座っている場面。  次に見えたものは森に囲まれた美しい泉の光景、そこには女神の様な女性が妖精に囲まれて水浴びをしていた。  その次はコウモリを大きくしたような魔物に追いかけられ、慌てて姿を隠した妖精達。さらには大きな花から妖精が生まれようとしているところ。  妖精達の記憶なのか、頭の中に幾つものイメージが通り過ぎて行く。 (これって……この子達の記憶とか? もしかして、これが妖精達のコミュニケーションの方法? こっちからも何か伝える事が出来ないかな……)  咲世はこの世界の情報を聞き出そうとジェスチャーでいろいろなポーズをしてみたが、妖精達は微笑みを返してくるだけで、今ひとつ意思疎通が取れない。  それならば得意な絵で会話出来ないだろうか。そう思った時だった。 (アア、人間が来ます。さようならアルマ様。私たちは森に戻ります) (ウフフ、さようなら。大樹のアルマ様) (またお会いしましょう) (あぁー、そんな! 飛んでいっちゃったよ-!)  妖精は人間に姿を見せたくないからか、その場を去ってしまった。  やはり妖精は人嫌いという事なのだろうか……悔しいがそういうものだと納得することにした。 (そしてやっぱりここは人が通る場所だよね。悪人だったらどうしよう……用心して私も身を隠すべき? 待てよ、幽霊だし怖がるのは向こうなのか……死んでしまったとは言え、とにかく寂しいし人に会ってみたいよなぁ……)  どうすべきか……見渡しの良い林道でまごついていた時。 (そこの道端に立っている、あんたぁー!)  人の姿が現れる事を想像していたところ、女性の大声が頭の中で響いた。  慌てて声の主を探そうと辺りを見回すと小さな影が遠くに見えた。まだ随分と距離がある。 (あっ、ごめん。まだそっちからは見えないかも。千里眼で確認したから声を掛けたの! それで、急にすまないのだけど、いま追われていて力を貸して欲しいのよ!)  自分の状態に未だ戸惑っているのに、姿が見えない者に追われているから協力して欲しいなどと言われても、どうして良いか分かる筈も無い。 (なぜこんなところで霊体でいるのか分からないけど、お願い! 協力して欲しいの。追っ手は魔族。だからどっちにしてもあなたも戦うか逃げるかでしょ? それに荷の中に戦闘用の憑依人形があるから、これを使えばいいからさ) (憑依人形? 幽霊だから憑依とか出来ちゃうってことなの? 勝手に話を進められても分からないことだらけなんだけど……戦闘用を使うって。そもそも、その追っ手に対してどうすればいいのやら……) (返事が無いのは……えーっと、もしかして念話が飛ばせない状況なの? 人形に憑依すれば会話できるから、その時に返事をもらってもいいよ。もちろん報酬は出すわ! だからお願い!) (なんと! 会話出来る手段がある? 人と会話さえ出来れば……今一番欲している情報を得ることが出来るけど……)  ここに至ってまだ逡巡している中、一方の道から影が大きくなって来た。  少しするとその姿がハッキリ見えて、馬車のような乗り物がこちらへ猛スピードで向かって来ている。 (あなたの脇で速度を緩めるから、荷車の後ろから乗って!)  その荷車を引いているのは馬ではなかった、前世の世界には存在しない生物。大きいトカゲのような生き物で格好良くいうと『地を這う翼が無い竜』というところか。  既に近くまで来て速度を落とし始めている、目の前まで来るとその迫力は相当なものだった。  御者は女性で魔法使いの様な格好をしており、じっと警戒するようにこちらに睨みを利かせていた。  その後方の荷車の中からは騒がしい声が聞こえる。  目の前でさらに速度が落ち、荷車の最後尾から女性が半身を乗り出してこちらに手を出していた。 (さあ、早く乗って!)  外套から顔を出して、直接頭に響く言葉と同時にこちら向かって何かを叫んでいた。  この人が声の主だったのだろう。 (あーもー! 分からんけど……ええい、乗ったれ!)
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