第一話、でございます 「夏は、やはり浴衣ですわねえ」

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第一話、でございます 「夏は、やはり浴衣ですわねえ」

その一     気象庁は過日、東海地方の梅雨明けを発表した。  とはいえ今年は例年に比べるとカラ梅雨に近く、すでに夏本番の気温、そしてねっとりする湿気にどっぷりと包まれている。  ここ、愛知県ナゴヤ市は元々高温多湿の地域であり、市民は不快指数にうんざりした表情を浮かべるのであった。    別地(べっち)凛子(りんこ)は地下鉄植田(うえだ)駅の、改札口をながめる壁際に背を預けていた。  凜子はナゴヤ市昭和区にキャンパスを構える、私立中京都(ちゅうきょうと)大学の文学部英語学科の二回生である。  ショートヘアにくりくりとした大きな瞳、ちょっぴり上向いた小鼻がチャームポイントだ。    日焼け対策なのか、ピンク色のキャップをかむっていた。  黒地のフェミニンフリルスリーブTシャツに白いショートパンツ、腰に巻いたデニムシャツが凜子の躍動感をさらに演出している。  肩から下げた布地のバッグは、使い慣れた通学用である。  教科書類を入れる以外に、いつもバッグの中にはスケッチブックを入れていた。  どんな時も絵心を忘れない、という絵師のこだわりだ。  凜子は大学で、漫画研究会なる文化系クラブに所属しているのである。  今日は土曜日。  だから講義もクラブ活動も、お休み。  凜子の下宿先は植田駅の隣り、塩釜口(しおがまぐち)駅から徒歩五分の学生専用アパートだ。  凜子はスマホをバッグから取り出し、時間を確認する。  まもなく約束の午後三時。  この時間帯でも地下鉄を利用する市民は多い。  電車が到着したアナウンスが聞こえてくる。  サラリーマンや学生らしき若者、町へ買い物に行っていたのか、百貨店の紙袋を持った主婦、さまざまな人々が改札を抜けていく。 「あれ、今の電車に乗っていなかったのかな」  アーモンド型の目をさらに見開き、凜子は自動改札を出る人たちに視線を向けた。  乗客のほとんどが改札を抜けたあと、とぼとぼと歩いてくるオカッパヘアを見つける。 「ヤッホー!   ヒメちゃーんやーいっ」  手を振りながら、凜子は改札口へ歩き出した。  待ち合わせの人物は、人ごみを避けるように、あらかたの乗客が出た後を見計らって地下ホームから上がってきたような気配だ。  オカッパヘアの若い男性であった。  凜子の声に、その若者は顔を上げて手を振った。  凜子と同じ文学部英語学科二回生の、設楽(したら)姫二郎(ひめじろう)である。  彼もまた、漫研部員だ。    大きく突き出た立派なお腹の持ち主で、二十歳前後の若者には絶対見えない。  すでに中年のメタボ体型である。  メタル・フレームの眼鏡をかけ、強度の近視のためレンズが重いのか、小指を立てた右手で頻繁にずれる眼鏡を持ち上げる癖があった。    手にはハンドタオルを握りしめ、盛んに顔をぬぐっている。  確かに蒸し暑いが、これほど汗をかく気温ではない。  陽射しのない地下なのだから。  姫二郎は、リアルな日本人形の顔部分だけをアップにした、プリントTシャツを着ている。  シャツはすでに大量の汗を吸っているようだ。  本来は清楚な日本人形であろうが、お腹部分が思いっきり広がっているために、人形の顔が横に膨らみやや気味が悪い。  凜子は立ち止まり、怪訝な表情を浮かべた。  姫二郎の胸元には太い布紐が交差している。  何か背負っているようなのだ。  リュックサックとは違うようだ。  それに姫二郎は片手に、いつもの紺色マジソンバッグを持っている。  自動改札に切符を入れて、姫二郎が凜子の前に立った。 「ご多忙の中、ご同行の依頼を快諾たまわり、おそれいります」 「いやいや構わないって、ヒメちゃん。  どうせ暇をもてあましていたしさ」 「ありがとうございます。  独り暮らしの女子の部屋に、男である僕がひとりで訪ねるのは、いかがなものかと思いましてな」 「ははっ、さすがヒメちゃん。  そういう一般常識的な考えを持っているから、わたしも快くお付き合いさせていただくんだよ」  凜子は、くったくない笑顔を浮かべた。 「ところでさあ」  片眉を上げながら、凜子は姫二郎の背に視線を向けた。 「何を背負ってきたのよ」  好奇心むき出しで凜子は顔を突き出した。 「えっ!  赤ちゃん?」  姫二郎は抱っこ紐で、赤ん坊を背負って来ていたのだ。  白いベビー服のフードで頭部が覆われている。 「ま、まさか、ヒメちゃんの隠し子?  それとも誘拐?」  一歩身を引きながら、凜子は姫二郎を指さす。  よいしょ、と姫二郎は片手で背負っている赤ん坊のお尻部分を持ち上げ、位置を正す。 「あははーっ、僕はこう見えてもまだ独身ですぞ、凜子さん。  それにこの体型からよくロリコンに間違われますが、僕は幼女にはまったく関心はありませんしな。  そもそも、なぜロリコンに僕のような体型が多いのか。  ロリコンだからぽっちゃりなのか、ぽっちゃりだからロリコンなのか。  炎上覚悟でSNSにて問おうかと考えております」  丁寧な口調で姫二郎は言う。    確かに。  ヒメちゃんの興味の対象は、ヒトではないし。    凜子は眉を寄せながらも納得する。  姫二郎は漫研部員として活動しているが、実は無類の人形オタクでもあったのだ。  下宿先は厳重に施錠され、マニア垂涎の人形が保管されている。  日本人形、海外のアンティーク・ドール、それにアニメのロボット・フィギュア等々。    だが人形の世界に素人である者は、絶対に足を踏み入れてはならないと言われている。  あらゆる類の人形に占拠されたワンルーム。  百体を軽く超す人形たちの視線がすべて部屋の真ん中に集中するように並べられており、深夜二時になると人形たちがヒソヒソと囁き始めると噂されているからだ。  日本人形の中にはお決まりの、髪が伸びる心霊人形もあるらしい。  漫研部員からは『恐怖の人形魔窟』と恐れられる部屋の主、それが姫二郎だ。 「ということはだね、これは赤ちゃんの等身大人形ってこと?」 「ピンポーン、ですな」 「へえっ。  どれどれ、おねえさんにお顔を見せてごらん」  凜子は口調を変えながら、ベビー服の頭部を覆った白いフードをめくり上げた。  一瞬世界の時の流れが、凍結する。  直後、「ヒーッ!」と悲鳴を上げながら、凜子はその場で失神してしまうのであった。  ~※※~  地下鉄の階段を上がり地上に出ると、太陽はやや西に傾いているものの、ムアッと澱む空気に全身が包まれる。  改札口で倒れ伏した凜子に、姫二郎はマジソンバッグから麦茶のペットボトルを取り出し、「エイッ」とばかりに凜子の顔にぶちまけたのだ。  むせながら息を吹き返す凜子。  だがあまりの恐怖に脳が自己防衛のためか、先ほど見た映像を記憶からシャットダウンしていた。 「あれ?  わたし、 どうしてたんだろ」 「びっくりしましたぞ、いきなり倒れるんだから」 「もしかして、熱中症かなあ」  凜子は麦茶に濡れた顔を左右に振りながら、姫二郎の手を借りて起き上がったのであった。  同期二人は、植田の国道から南側に向かって歩いていく。 「えーっと、ヒメちゃんが背負っている赤ちゃんは、もしかして隠し子?   それとも誘拐?」  凜子は同じことを口にした。  姫二郎は細い目をさらに細める。  どうやら微笑んでいるらしい。 「はっはっは。  これは等身大の赤ちゃん人形ですぞ」 「なーんだ、人形なんだ。  どれどれ、おねえさんにお顔を見せ」  ここまで何気なくしゃべり、強烈な既視感(デジャブ)に見舞われた。 「い、いや、ちょっと待って。  このシチュエーションに覚えがあるわ。  わたし、同じ質問をさっきもしたような」 「うん、二回目」  歩きながら姫二郎が答える。  ぱたっと凜子の足が止まった。  じーっと記憶を手繰るような視線で、アスファルト道を見つめる。 「イヤーッ!」  絶叫が我知らずにほとばしった。  往来を歩く人々が、何ごとかと振り返る。  凜子はあわてて自分の口を両手で押さえた。  思い出してしまったのだ。 「ヒ、ヒメちゃん、その人形って」  声を震わせながら、凜子は後ずさりし始める。  姫二郎も立ち止まり、眼鏡のフレームを指先で持ち上げた。 「ぐふふっ、いいでしょ、これ」 「いいでしょって、どこからそんな怖気の走る人形を入手したのさ!」 「いやあ、苦労しました ぞ、さすがにね」  鼻の穴をふくらませ、姫二郎は得意げに語り出した。                                      つづく       
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