第三話、ラストなの、と「赤ちゃんを、返してくださるかしら」

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その四  わたくしは自転車を漕ぎながら、通学用バッグからトカレフを取り出すと、躊躇することなく、トリガーにかけた指をひきます。  一発目は、ハンドバッグのど真ん中に命中。  少し穴が開いてしまいましたが、おばさまもお許しくださるでしょう。  二発目はお背中の中心部を狙って、パンッ!   ところが自転車を片手運転でしたため、狙いがはずれてバイクの後輪を撃ち抜いてしまいましたの。  逃走する殿方はなんとか体勢を整えようとしますが、バランスが崩れ大きく転倒されました。  五十メートルくらいは吹き飛んだと思います。  なんとか犯罪を食い止めることができた、とわたくしはそのまま名乗りもせずに、自宅へ帰りましたわ。  だって新聞社やテレビの報道関係に、「お手柄の女子高生」などと取材を受けるなんて、考えるだけでとても恥ずかしいですもの。  ですから、拳銃の取り扱いは慣れたもの。  お眠りになる時に拳銃を握りしめたままだと危ないわ。  寝惚けて暴発なんて、よくあることですゆえ。    わたくしは殿方の固く握った指を外そうとして、少々力を入れます。  まるで小枝を折るような感触がございまして、なんとかトカレフを指の間から抜き取ります。  あら?   指があらぬ方向へ曲がっておりますわ。  お身体が柔らかい体質?   シルクドゥソレイユか、中国雑技団所属のおかたかも。  なにはともあれ、ホッとかわいいくため息をつきまして、失礼して奥の部屋へ。  トカレフは危のうございますので、わたくしの胸元へしまいました。  まあ、こちらにも殿方が。  なにやら暗唱していらっしゃるわ。  もしや、乱歩先生の御作では?  負けませんわよ、わたくし。  それならわたくしは名作の誉れ高き『闇に蠢く』をば。  ごほん、とかわいく咳払い。 ~~**~~  バタンッと玄関ドアが開かれ、ごうっと風と雨が室内へ侵入してくる気配があった。  引きつったネズミの悲鳴と、ドタンッと倒れる音が、ウシの耳に聞こえる。    金縛りの呪縛が解けないまま、ウシは何度も何度も般若心経を唱え続けた。  みしり、誰かかキッチンからこちらへ歩いてくる。  確認しようにも、両目は天井に吸い寄せられ動かせない。  みしり、みしり、さらに近づく。  いきなりバサッと長い髪がウシの視界に入った。  ボタボタと、滴が顔に落ちてくる。 「観自在菩薩ッ、行深般若波羅蜜多時ッ、ヒッ、照見五蘊皆空ゥ、ヒッ、ヒッ、度一切苦厄ゥ、舎利子ッ、色不異空ゥ、ヒーッ!」  ウシの唱える声に、悲鳴が混じる。 「もう十年ほど以前になります。  はっきりした年代は忘れてしまいました。  そればかりか」  ウシの顔の上に髪を垂らした女が、突然腹に響く声でしゃべりだした。  これは、間違いなく自殺した女の怨霊ではないか!  自殺した経緯を恨めしく話し、その後冥界へ引きずりこんでいくのだ!  ウシはパニックに陥った。  怨霊は血しぶきを浴びた死装束姿で、天井を見上げる。 「やはりここにいたのね、わたくしのかわいい赤ちゃん。  うふふ。  押入れから失礼して、よろしいかしら」  女の霊が、ウシにニタリと微笑みかける。  下ろした前髪からランランと光る、妖しげな双眸。 「どうぞどうぞ、美しきマドモアゼル。  よろしければ、私がお手をお貸ししましょう。  レディに危険な真似はさせられません。  ふふっ、男って生き物は、常に女性のために、自ら死地へ赴きます」  自分で何を言っているのかわからない、さっぱり理解不能のウシ。  次第に意識が遠くなっていく。  最後に記憶に残っているのは、赤ん坊を抱いた女の霊が、なぜだか大量のキムチを盛った皿を、ウシの横に置いて姿をかき消したことであった。  死ぬほど強烈な臭いがした。 ~※※~ 「それはコワいよ、ヒメちゃん」  冷酒の三本目を空けた凜子は、ゾクリと肩を震わせた。  いつの間にか、外は雷雨が到来したようだ。  新しく暖簾をくぐってくるサラリーマンらしき二人連れは、ずぶ濡れであった。 「ただこのお話は、本当かどうかはわからないのですな。  前の持ち主は結局見てはおらんようでしたから。  噂が噂を呼ぶ。  尾ひれがついてしまって、それを鵜呑みにしていたんじゃないですかなあ」  姫二郎は、凜子からお酌してもらった冷酒のお猪口に視線を落とした。 「でもそんな噂話を耳にしていたら、いつなんどき現象が起きてもおかしくないって疑心暗鬼になるよね」 「さよう。  ですからあの人形を入手したはいいが、結局倉庫にしまいっぱなし。  それでも怖くなって手放す決心をしたと」 「そこへヒメちゃんが現れたもんだから、これ幸いとノシまでつけてくれちゃったんだね」  はあっと凜子はため息を吐きながら、両肘をカウンターに乗せて手で顎を支えた。 「それにしても、つばめは大丈夫かしら。  そんないわくつきの人形を手元に置いてさ」 「逆に言えばですな、つばめさんこそあの人形の持ち主に最もふさわしい。  僕はそう思いますが、いかがですかな」 「まあね。  あの子に勝てるヒトなんざ、この世にもあの世にもいないしね。  それにしてもだよ。  泣き声は電池を入れ替えれば今でも出るけど、動き回る予定の駆動モーターがいかれちゃって修理不可能。  絶対に動かないはずなのに、夜中になるとひとりでに這い回り出すなんて、オカルト話もいいところね」 「まあ実際に動く様子を見た持ち主は、未だかつておりませんがな」 「つばめの部屋に憑りついているって噂のある地縛霊が、もしかしたら外へ出たがってあの人形にのりうつっているかもよ」  二人は顔を見合わせて笑った。                                 つづく
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