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その二
「凜子さん、あの超有名なカルト映画である『妖魔は子煩悩・戦慄する廃村』ってご存知ですかな?
ああ、ご存じでない。
いやあ、かなりマニアの間では話題になったのですが。
はあ?
わたしはマニアではない?
なるほど。
五年ほど前に我が国で製作された映画でしてな。
まあ内容はチープだったのですが、撮影に使用された造形物つまり人形ですな。
これがもう超リアルで、観る者の心臓をねじ切るくらい怖かったわけですなあ。
配給先の海外のある国では、全編上映禁止にまでなったほどなのです。
ところが公開直後から製作関係者や出演者の間に、相次いで不幸な事故が起きたのですよ。
これは何かの祟りか、などと実しやかに噂が広まりましたわけです。
しかもですぞ、製作会社自体が資金繰りの悪化によって倒産。
よってさまざまな品が競売なんぞにかけられるわけですが、主役とも言える赤ちゃん人形は真っ先にオークションで人の手に渡ったわけですわ」
腕組みをしながら、空を見上げる姫二郎。
「それもそのはず。
人形制作は、かのピエール喪断坂氏。
人形師の中でもカリスマ的存在であります からして」
「それはわかった。
充分わかった。
夏にピッタリの話題をありがとう。
で、なにゆえその人形をヒメちゃんが持ってるわけ?」
「これは以前より、どうしても手に入れてほしいと頼まれていたのですよ」
「誰に?
ってまさか、今から向かう」
「さよう。
つばめさんにですわ、墓尾つばめさん」
墓尾つばめ。
凜子たちと同じ中京都大学文学部国文学科の二回生にして、漫画研究会の同期である。
納得した。
凜子は大きく納得した。
あのつばめなら、こんな気色の悪い人形を嬉々として可愛がること間違いなしだ。
「ようやく入手できましたので、それを今日お届けに上がるわけです」
「つばめは独り暮らしだからねえ。
それでわたしに一緒に行ってくれってわけだ」
「凜子さん、ご明察。
さあ、行きましょう。
暑さで倒れる前に」
ハンドタオルで顔を流れる汗を拭き、姫二郎は歩き出した。
つばめの住む「ゴールドクレストマンション・UEDA」は、地下鉄植田駅から徒歩十五分の住宅街にある。
マンションと名称にはあるが、築三十年は軽く超えた二階建ての木造コーポだ。
北海道出身のセレブ令嬢であるつばめが、よりによって何故そんな倒壊寸前のボロ屋に住んでいるのか、同期の凜子は不思議でならない。
しかも借りている部屋はいわゆる「事故物件」らしい。
「あら、住めば都、ですのよ凜子さま」
つばめはとびっきりの笑顔で答える。
凜子は身長が百六十八センチあるが、つばめと話す時は常に顔が上向く。
天然ウエーブの髪をセミロングにし、長い脚でさっそうとキャンパスを歩く姿は、凜子から見ても断然恰好よい。
間違いなく十頭身以上のスタイルだ。
初雪のような、きめ細やかな白い肌。
西洋の血が混ざったような切れ長二重の目元に、すうっと通った鼻梁。
少し厚めの小さな唇。
それらのパーツが、ものの見事に小顔に配置されている。
しかも、ボン! キュッ! ボン! の理想の体型。
ノーメークでありながら、艶やかなその表情は誰もが感嘆のため息をもらす。
はっきり言えば、そんじょそこらには存在しない、超絶美形の女子であるのだ。
もちろん流行の整形などは一切していない。
神さまの手により、完璧な黄金比で成り立っている。
鈴を転がしたような心地よいソプラノボイスで、真っ白な歯並びの良い口元を開いてそう言うつばめ。
凜子は何度かつばめの住まいに、遊びに行ったことがある。
好きな漫画や、制作中の作品について語り合ったりする。
だが凜子は、なるべくつばめの部屋には長居したくなかった。
怖いのだ。
姫二郎の下宿先も、確かに怖い。
だがつばめの部屋は、本能がレベル ・マックスの危険信号を鳴らし続ける怖さがあった。
壁一面を覆う、日野日出志が描いた「蔵六蔵六の奇病」の額縁入りの画は無論気味が悪い。
だがそれよりも、言葉にできない恐怖感に何故だか襲われてしまうのだ。
得体のしれない、何かがいそうなのだ。
つばめは「都」と言うが、他人からすれば魔界へ通じる異空間に閉じ込められた恐怖感を抱いてしまうのである。
やはり「事故物件」というのは、事実であったのか。
だが、そんな失礼なことは絶対に言えない。
国道から枝分かれした道路を、人形をおんぶした姫二郎と、次回発行の機関紙について、意見し合いながら凜子は歩く。
「あと少しだね、ヒメちゃん」
凜子は西陽に目を細めながら、姫二郎に言った。
なるべく姫二郎の背後を見ない位置を選択しながら、少しだけリードして歩く。
ふうっ、ふうっ、姫二郎はボタボタと全身から汗をしたたらせながらあえぐように歩いている。
「見えてきたわよ」
元気よく、同志を鼓舞するように凜子は明るい声を上げた。
五十メートルほど先に見える木造コーポ、「ゴールドクレストマンション・UEDA」。
その前には、宅配便のトラックが停車していた。
二人はどちらともなく、いったん歩を止める。
それぞれのバッグから立体タイプのマスクを取り出すと、無言で鼻と口元を覆った。
それも二枚重ねにしてだ。
むろん風邪気味というわけではない。
防衛策、なのだ。
本当は顔全体を覆うガスマスクが欲しいくらいだわ、と凜子は思う。
凜子がコーポの二階へ上がる階段に足を掛けようとした時、ドダダダッ! と階段を転がり落ちるような勢いで青い縞のシャツを着た男性が走り下りてきた。
あわてて凜子と姫二郎は道を空ける。
どうやら宅配便のドライバーらしい。
三十歳代の男性は一気に走り下りてくると、両手を膝に置き、とんでもない荒い呼吸を繰り返した。
ゼエッゼエッと、空気を貪るかのように肺に新鮮な空気を送り込んでいる。
目から涙が、鼻からは鼻水がとめどもなく流れ落ちていた。
しかも驚くことに、シャツのお腹部分が赤黒く染まっているではないか。
まさか、刃傷沙汰っ!
男性ドライバーは凜子たちの存在にまったく気付かず、ヨロヨロと酔ったような足取りでトラックの運転席に向かう。
どうやら怪我をしているわけではなさそうだ。
では逆に、返り血をあびたのか?
トラックがタイヤを軋らせながら、走り去っていく。
二人は塗装が剥げ、錆の浮いた鉄板製の階段を急いで上がった。
凜子は二階へ上がると、マスクの掛け具合を確かめる。
つばめの借りている部屋は、一番奥だ。
以前は狭いむき出しの廊下に、他の住居人たちが洗濯機や植木鉢を所狭しと置いていたはずだが、なぜかスッキリと何も置かれてはいなかった。
顔を背後の姫二郎に向けた凜子は、無言でうなずく。
姫二郎もうなずいた。
廊下を早足で奥へ進む。
太陽がまともに射してくる。
二人は突き当りの玄関ドア前で立ち止まった。
何やら危険な刺激臭がドア前に停滞している気分に陥った凜子は、目をパチクリと数度瞬きし、合板のドア横にある丸いブザーを押した。
ジッ、ジジジジッ。
臨終間際のセミが、最後の力を振り絞って鳴くようなブザー音。
「はーい、ただいまぁ」
不快指数をさらりとすくい上げてくれる、爽やかな声が聞こえた。
ホッと肩の力を抜く凜子。
さすがに考え過ぎであったようだ。
ドアノブを回す音と共に、しなりかけた合板ドアが錆の軋む音を響かせて開けられた。
つづく
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