第二話、ですの 「手ぐすね引いて、あなたを待っていたのよ」

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その二  まあ!   正解ですわ、凜子さま。  どうしてヒントもなしで、鳥飼さまが養鶏場を営んでおられるのがお分かりに?   わたくし、ビックリでございます。  田畑さま同様、鳥飼さまのお顔も存じ上げないのですけど。  ええ、鳥飼さまの養鶏場には元気のいい鶏さんがいっぱいですの。  生みたての卵は、もう絶品ですのよ。  漫画制作で深夜まで及ぶ時がございますでしょ。  そういたしますと恥ずかしながら、小腹が空いてしまいます。  そんな時はお丼に白いご飯をテンコ盛りによそいまして、お箸をご飯に突き刺し鳥飼さまの養鶏場へ走ります。  もちろん全速力よ。  到着いたしましたならば、素早くゲージから生みたて卵をいただいて、その場でご飯にかけて食しますの。  たまらなく、美味ですわよ。  もう何杯でもいけてしまいますのですが、わたくしも乙女、腹八分と申しますものね。  そうなのです。  ですから後ほど鳥飼さまの養鶏場へうかがって、手ごろな鶏さんを一匹締めてこようかなと思っておりますの。  わたくし、こう見えましてもジビエ料理なるものまで手掛けますのよ、うふふ。  えっ、今日はご都合がお悪いのですか?  お二人とも?   それは残念ですわ。  それよりも肝心なこと?   あら、なんでございますでしょう。  先ほどから気になっておりますのですが、ヒメさまがおんぶされておられるのは、隠し子?  それとも誘拐?  どちらもはずれ?   はて、わたくしには想像もつきませぬ。  はい?  わたくしが以前ヒメさまに、お願いしていた?  もしや、もしやそれは、あのお人形でございますか!   拝見させていただいても、よろしくって?  ほらぁ、こっちへいらっしゃいな。  おねえさまは、手ぐすね引いてあなたを待っていたのよ。  恥ずかしがり屋さんなのかなぁ、フードでかわいいお顔を隠してるわね。  どーれ、バアッ!   まあっ、かわいい!  わたくしが今日からあなたのおねえさまよ、よろしくね。 ~※※~  つばめは姫二郎から人形を手渡ししてもらい、かぶせていたフードをぺろりと持ち上げた。  凜子はサッと視線をはずす。  ひしゃげたカボチャを彷彿させる歪つな頭部には、黒い髪が這いまわるミミズのように張り付いている。  アンバランスに離れた大きく見開かれた真ん丸な目は、真っ赤に充血していた。  彫刻刀で無操作に抉られたかのような二つの鼻孔。  半開きの口からはギザギザの牙がむき出している。    額の右側には穴が開き、何匹もの蛆虫が這い出る様までリアルに表現されていた。  灰色の顔には殴られた痕のように、ところどころ紫色や青色に爛れている。  正常な精神の持ち主には、見るに耐えがたい造形であった。  だがここまでリアルに作られていると、もはや芸術である。  つばめはうっとりとした恍惚の表情で、ジッと人形を見つめる。  隣に座る凜子はおびえるように、つばめから距離を取ろうとしていた。 「どう?   つばめさん。  お気に召しましたかな」  姫二郎はようやく室内に充満している刺激臭に慣れたきたのか、ニタニタと不気味な笑みを浮かべる。  それは人形の世界をトコトン追究する、オタク、いや、マニアとしての矜持であるのだろう。  だが他人から見れば、ただ単に薄気味悪い表情であった。 「ええ、とても素敵ですわぁ!  ありがとうございます、ヒメさま」  つばめは抱え上げた人形の横から、とびっきりの笑顔で答える。 「それにですな、ピエール氏は精巧な仕掛けを施しておられたのですぞ」 「仕掛け?   と申しますと」 「人形の背中にスイッチがあってね」  つばめは白いベビー服の背後に手を差し込んだ。  指先に小さな突起部分が当たる。 「えいっ」  躊躇することなくつばめはスイッチをオンにした。  直後、「ゥ、ゥ、ゥウオオーンンッ」と人形が大きく口を開け、唸り声を上げ始めた。 「グギギギッ、ゴゥゴゥッ、ウオオーン」、と音声テープを低速で再生したような、聞く者の背筋を凍らせる泣き声が室内に響き渡った。 「ヒーッ、助けてーっ」  凜子は両耳を押さえながら叫ぶ。 「まあ、なんて可愛いお声だこと」  つばめは人形に頬ずりし、姫二郎は満足げに何度も頷いた。 「もうひとつ。  脇の下にもスイッチがあるんですがな。  そのスイッチはですなあ、なんとモーター駆動によって人形がハイハイするんですわ」  人差し指を立てて姫二郎は言った。 「いたれりつくせり、ってとこでございますわねえ、ヒメさま」 「ぐふふっ、どうやらすでにその子の虜ってところですかな、つばめさん」 「もちろんでございますとも!  これで寂しい夜も、楽しい夢をこの子といっしょに見られますわ。  えーっと、お代金でございますけど」 「ああ、お金なら気にしないでいただきたい。  実はその人形の前の所有者から、十万円払うからぜひとも引き取ってくれないかって、懇願されましたんですわ」 「あら、では逆にお金を頂戴できたってことなのでしょうか」 「そうなのです」  姫二郎はポーンと胸を叩いた。  二人の会話を割り込むように、凜子がサッと挙手した。 「ちょっと待って、お二人さん」 「えっ?」  凜子はやけに真面目な表情で、なるべく横のつばめと人形を見ないように真っ直ぐ正面に顔を向けている。 「おかしくない?   それって」 「なにがですかな、凜子さん」 「だってヒメちゃんが言うには、人形オタクの間ではカリスマ的な、そのピロリ菌なんちゃらって」 「ピエールですぞ、ピエール喪断坂氏」 「どっちだっていいわ、この際。  そのピロリ菌が作った、希少価値の高い人形なんでしょ?」 「さよう。  当初の売値は五百万円以上と、ネットでは評判でしたな」  姫二郎は鼻の穴をふくらませて自慢げに言う。 「そこよ、問題は。  いいこと。  普通はオークションで競売すればさ、当然プレミアムがついていくものじゃない」 「そうですわね」  つばめは首肯する。 「それが、なんですって?  逆に十万円付けるから引き取ってくれ?  どうしてそうなるのよ。  どうして前の持ち主は手放したがっていたわけ?」  部屋の中はシーンと静まり返った。  凜子は恐るおそる隣に座るつばめに視線を向ける。  つばめはニコリと微笑みを返す。  そのあまりのチャーミングさに、凜子は思わずスケッチブックを取り出して写生しようとする己をたしなめた。 「ねえ、ヒメちゃん」 「は、はいー」 「十万円もくれた前の持ち主さん、何か言ってなかった?」  凜子の問いに、姫二郎は細い目を宙に彷徨わせた。 「い、いえ、特には」 「おいっ、ヒメ!」  ドスの効いた凜子の声音に、思わず姫二郎は顔を正座する自分の太腿にうずめた。 「悪気はなかったんですぅ!  だって、つばめさんがどうしても手に入れたいって僕にお願いしてくれたものですからぁ」  半ば泣き声の姫二郎の肩を、凜子は優しくなでる。 「さあ、自供(はいち)まいなさいよ、ヒメちゃん。  きみに悪意がないってことは、わたしは、ちゃんとわかってるからさ」  重要参考人から被疑者、そして被告人となり果てていく姫二郎。 「じ、実はですねえ」   ついに隠していた事実を話し始めようとする姫二郎。  ところがその声を凌駕するつばめの声が、突然室内に響き渡った。 「佳子は、毎朝、夫の登庁を見送ってしまうと、それはいつも十時を過ぎるのだが、やっと自分のからだになって、洋館のほうの、夫と共用の書斎へ、とじこもるのが例になっていた。  そこで」  凜子は「あちゃあ」と目をつむった。  つばめはいったん口を閉じ、抱いた人形に話しかける。 「わかるかしら、赤ちゃん。  わたくしがあなたくらいの頃に、ママが寝物語でお話ししてくだすった、江戸川乱歩先生の『人間椅子』よ。  わたくしが臨場感たっぷりに聴かせてあげるわね、うふふ」  つばめは長くカールしたまつ毛を伏せながら、再び『人間椅子』を暗唱し始める。  こうなると、誰にも止められないことは漫研同期であれば誰もが知っていた。  鈴の音のようなつばめの声であるが、江戸川乱歩の小説を暗唱し出すと、何かが憑りついたかのように、張りのある舞台女優ばりの迫力に満ちた声音になるのだ。  つばめの語る『人間椅子』が終了し、さらに『黒蜥蜴』の幕が開く。  朗々と語るつばめの視界に、もはや来客の姿は映ってはいない。  凜子は姫二郎に目配せした。  もうこのまま黙って帰ろう、そういう意味合いを込めて。  姫二郎もうなずいた。 「お邪魔しましたぁ」  凜子は玄関で靴を履きながら、奥の部屋でキムチの汁が飛び散った経帷子を着たまま、人形に向かって語り続けるつばめの背に声をかけた。 「行こっか、ヒメちゃん」 「さようですな。  それではつばめさん、またクラブで会いまみえましょうぞ」  二人は合板のドアを開けて外へ出た。                                 つづく
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