第二話、ですの 「手ぐすね引いて、あなたを待っていたのよ」

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その三  太陽はすでに沈んでいるが、まだ明るい。  熱せられた大気が、ムアッと凜子の身体にまとわりつく。 「ああ、空気がこんなに美味しいだなんて」  湿気が百パーセントであろうと、構わない。  少なくとも胸いっぱいに吸い込む新鮮な空気は、臭いがない。  横で姫二郎も両腕を上げ下げして、深呼吸を繰り返していた。 「ヒメちゃん、晩御飯はどうする?  駅前に居酒屋が一件あったけど、軽く喉をうるおしていかない?」 「確かに喉が、まだヒリヒリしますなあ。  それでは少しだけ飲みますかな。  今日はお付き合いいただいたので、僕が驕ります」 「思い出した。  そういえば大金を懐に持っていらっしゃったわねえ。  ご相伴にあずかっちゃおうっと!  ついでにさっきの続きを訊かせてもらうわよ」  姫二郎はしゅんとうなだれながら、「はい」と小さく返事する。  二人が階段を下りた後、入れ替わるように男性二人が階段を上がっていく。  ひとりはかなり小柄で、もうひとりは相撲取りのようにでかい。  ちらりと凜子は様子をうかがう。  二人とも髪を五分刈りにし、グレーのTシャツに迷彩柄のズボンを履いていた。  年齢はどちらも三十歳前後か。  ただ黒いサングラスをしているため、人相はよくわからなかった。  先を行く小柄な男が玄関キーを手にしていたため、多分二階の住人ではないかと推測した。  一応念のため、階段下でむき出しの廊下を見上げる。  男二人は五つある玄関の真ん中で立ち止まり、ガチャリとドアを開ける。  やはり住人のようだ。  だけど、どこか得体のしれない雰囲気を醸し出していた気がする。  凜子はつばめが心配になりかけたが、思わず苦笑する。 「つばめを襲う男がいるなんて、想像できないわ。  襲う前にあの激臭でノックダウンされるわね、間違いなく」 「どうしましたかな、凜子さん」 「なんでもないよ。  さあ、冷たーいビールがわたしたちを呼んでる!  レッツ、ゴーッ!」  凜子は姫二郎の肩を叩きながら、歩き出した。    ~※※~  小柄な男は玄関ドアを開けると、素早く周囲を見回して中へ入った。  大柄なほうも真似しながら太い首をまわすが、確認というよりも単にふりをしただけのように見受けられる。    室内はつばめの住まう造りと同様で、玄関を入るとすぐにダイニングキッチン、奥が六畳の和室だ。  和室には数個の段ボール箱と布団袋が置かれており、どうやら引っ越してきたばかりの雰囲気であった。  二人は古びたシューズを脱ぐと、奥の部屋へ進む。 「兄貴ぃ、な、なんか臭いませんかぁ?」  大柄な男は大きな鼻の穴をさらに広げて、クンクンと顔をかたむけた。  とたんに、バキッ! と小柄な男に頭をグウでこづかれる。 「馬鹿野郎っ、兄貴って呼ぶなってあれほど言って聞かせたのに、まだ呼ぶか!」  言いながら叩いた拳が、変な音を立てた。 「クウッ!   てめえが石頭だってえのを忘れてたぜ」  小柄な男は拳を腹部で抱え込む。  叩かれたほうは、「えへへーっ、すいやせん、あに、いや、えーっと」とポリポリと頭をかいた。 「いい加減に覚えろや!   俺のコードネームは、ネズミだ。  しかも階級は、軍曹だ」 「あ、ああっ、そうでしたぁ、ネズミ」 「呼び捨てにするな!  ネズミ軍曹殿だ」 「へ、へい、殿」 「チッ、まあいいや。  ところでテメエは自分のコードネームくらい覚えてるだろうな」 「あ、当たり前でさあ」 「じゃあ、念のため言ってみろ」 「兄貴ぃ、な、なんか臭いませんかぁ?」  大柄な男は大きな鼻の穴を再び広げて、クンクンと顔をかたむけた。 「キーッ!  なんだってこんな奴と共同生活しなきゃならんのだ」  小柄な男、ネズミは畳の上で地団太を踏む。 「それは、我々が令和革命軍『常夏(とこなつ)の島』の実動部隊である『干支(えと)隊』に、所属しているからであります、軍曹殿。  来たるべき新生大日本帝国の、真の姿を求め我々は(いしずえ)となるべく、現政府に対して武力行使することによって政権交代を図り、『常夏の島』が掲げる」  ネズミはあわてて大柄な男の口を両手でふさぐ。 「貴様は、馬鹿なのかそれともフリをしているのか、どっちだよ、ったく。  そんな大声で叫んだら、我々がテロリストであることを宣伝しているようなもんだろ!」  えへへーっ、と大柄な男は嬉しそうに笑った。 「こっちがおかしくなりそうだぜ。  いいか、貴様のコードネームは、ウシ、だ。  しかも階級は二等兵、つまりペーペーだ。  本部から連絡があるまでは、一般市民に紛れ込んでなきゃならんのだ。  とにかくだ、しばらくはここで寝食を共にするんだから、しっかり頼むぞ」  ネズミはウシを見上げた。 「へ、へい。  リョーカイいたしましてございまするーっ」  ウシは大きな掌を裏向けて、敬礼の真似をする。 「しかし、こんなアパートをよくみつけたもんだな。  家賃も格安らしいぜ。  一階は五部屋とも空室で二階は奥の一室と、ここの俺たちしか入居してないしな。  多少の物音なら、誰にもとがめられないぜ。  さあ、荷物の整理だ。  エアコンはないから、ともかく窓を全開だ。  こう暑くちゃあ、思考まで鈍っちまうぜ」  ウシが木枠の窓をガタピシいわせながら開く。  涼風とまではいかないが、日没後の生ぬるい風が部屋の中へ吹いた。 「あ、あに、いや違った。  えーっと、ネズミ、ネズミ先輩?」 「貴様、わざと間違えてるだろ。  それは元演歌歌手だ!  ネズミ軍曹っ」  ぐ、ん、そ、う、としっかりと区切った。 「やっぱり、な、何か臭ってきますぜえ。  こうなんというか、ニンニクやら香辛料やら、腐敗した魚のはらわたを混ぜたような」 「そうかい、俺は何も臭わんぞ」 「ぐ、軍曹殿は、も、もしかしたら慢性鼻炎?」 「そうだ。  よくわかったな」 「俺のオツムは、ちょっぴしノンビリ屋さんなんだけども、そ、その分、目や鼻、耳はいいんだなあ」 「ほう、そりゃあ動物界においては重要な能力だな」  ウシは褒められたと思って、満面笑みで胸を張った。 「えへへーっ、あ、ありがとうごぜいやすーっ」 「本部の工兵部隊がこの空き家を押さえてくれて、物資もこのように運び込んでくれている。  近日中に軍事訓練の連絡があるからな。  それまでは待機だ。  そうだ、ウシよ。  布団袋の中に例のモノがあるはずだから、確認してくれ」  ネズミは押入れ前に置いてある布団袋を指した。  ウシは「へーいっ」と頭を下げて布団袋の紐を丁寧にはずす。    薄い敷布団にタオルケットが折りたたまれており、その間にウシは太い指を挿しいれた。  ごそごそと動かしながら、ゆっくりと引き抜かれた指には、B5版程度のジッパーで閉じられた黒い布袋が握られている。    布袋は膨らんでおり、重量がありそうだ。  そのままネズミに片膝をついて、頭を下げながら両手で渡す。  ジッパーを開いて中を確認するネズミ。  茶色い油紙が、のぞいていた。  ネズミはニヤリと口元を上げた。 「おい、これをこのまま便所の棚の上にでも隠しておけ」 「了解です(イェッサー)!   これは本部が我々の武装に用意してくれた、トカレフですね。  正式名称を、トゥルスキー・トカレヴァと呼び、一般には設計者フョードル・トカレフにちなみ、単にトカレフの名で知られております。  安全装置すら省略した徹底単純化設計で、生産性向上と撃発能力確保に徹した拳銃であり、過酷な環境でも耐久性が高く、かつ弾丸の貫通力に優れております。  先の大戦でソビエト軍が正式に採用したことは、周知の事実であります。  現在では中国で生産され、我が国においても」 「ダーッ!  そんなことはどうでもいいんだよっ。  つーか、おまえは人間ウィキか!  なめてんだろ、俺のこと、本当は馬鹿にしてんだろ!  ヌケたふりしやがって、実は俺を踏み台にして幹部のイスを狙ってんじゃねえのかっ」  ネズミは背伸びし、ウシの顔に唾を飛ばしながら喚く。 「い、いやあ、お、俺は、いえっ、自分はずっとアニ、いや、ネズミ先輩軍曹兄貴の下で立派な兵士になる、しょ、所存でありまするからしてからに」  ウシは額に汗を浮かべながら弁解した。  本当は自分が先ほどしゃべったことは意味不明であり、口が勝手に動いたのである。  昔から、よく知らない誰かに、口を勝手に乗っ取られるようだ。  はあっ、ネズミは肩を落として頭を振る。 「もういい、わかった。  それを仕舞ったら、夕飯用にコンビニへ弁当でも買いにいくぜ」 「お、俺はショウガ焼き弁当が食べたーい!  そ、それとサラダがいいなあ、うん、サラーダだなやっぱりサラーダーッ」  ウシは嬉しそうに、宙にサングラスの視線を向ける。 「一日の食費は、ひとり千円だからな。  そのことを念頭に置いておくように」 「へ、へーい」  ちょっぴり残念そうに肩をすぼめるウシであった。                                 つづく  
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