第三話、ラストなの、と「赤ちゃんを、返してくださるかしら」

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その二  わたくしも幼少の頃はお転婆さんでしたから、よくパパやママに叱られては閉じ込められたものです。    わたくしの場合は、屋敷の地下にある牢獄でした。  灯りが一切ない、鉄格子のはまった狭い部屋でしたわ。  さすがに一ヶ月もそこで寝起きすれば、やんちゃなわたくしもシュンと反省したものです。    でも今思えば、なぜ我が家には地下室に牢獄があったのかしら。  どこのご家庭でも、鉄格子のはまったお部屋のひとつや二つはありますものね。  それが我が家はたまたま地下にあった、ってことですわ。  ああ、そんなに押入れの中を高速で走り回ったら、お客さま用のお布団が破れてしまいますわ。  早く駆動スイッチをば、ああっ、そうでした。  わたくしとしたことが。  先ほど壊してしまっておりました。  おほほ、困ったことになりましたわね。  仕方ありません。  この際、雷さま観戦のほうが重要よね。  よいしょっと。  ここを開ければ、と。  はい、お部屋よりもずっと広いですわよ。  ここの屋根裏は五室分ありますから。  ここで好きなだけハイハイしなさいな。  どうぞぅ。  ああっ、走る走る。  骨組の木材など、簡単に乗り越えてハイハイしていきましたわ。  さあ、それではわたくしはゆるりと雷さまのライブへ戻ります。  ~※※~  天を真っ黒な雷雲が支配していた。  滝のような雨がナゴヤ市を中心に上空から流れ落ち、「ゴールドクレスト・UEDA」の瓦屋根を叩く。  ダダダダダッ!   まるで機関銃で一斉射撃を喰らうような音が、耳をつんざく。  タオルケットに丸まったネズミの横で、ウシは畳に上に寝転がっていた。  握り飯は朝食用の分まで、すべて胃に収めてしまった。  ネズミが激怒するに違いない。    窓を閉め切っているため、ウシは全身に汗をかいていた。  テレビなどの娯楽品は、本部からは支給されない。  ただ時がくるまで、こうしてジッと耐え忍ぶことも兵士には必要であると言われている。  ウシは大の字になったまま、なすすべもなく、死んだように板張りの天井を見つめていた。  先ほど雷とは違う、ドタバタする音が聞こえたが、あれは気のせいだったのだろうか。 「暇だなあ。  じ、人生ゲームでも買ってもらえば、よかったかなあ」  ピカッ!   室内が真昼のように浮かび上がり、ドドーンッと落雷の音が窓ガラスを震わせる。 「んんっ?」  雷の音ではない音が、ゴトッ、ゴトゴトゴトッと聞こえる。  じっと耳を澄ます。  その音は、天井裏から聞こえてくるようだ。  ネズミでもいるのだろうか?  そう思ったウシは、「あははぁ。ネ、ネズミはここにいるしなあ」と、横で丸まっているネズミに視線を向ける。  天井を這いまわるような音が続き、ピタリと止んだ。  稲妻の閃光が窓ガラスを突き抜け、部屋を襲う。  その時、天井を見つめていたウシの小さな目が、ある位置で止まった。  またしても稲光が室内を照らす。  ウシは見た。  いや、正確に言えば、目が合ったのだ。  天板の隙間から、ジッと見下ろす赤く充血した真ん丸な眼球と。 「ウゥッ、ウウウッ」  ウシは視線を外そうとするが、磁力で引き寄せられるように、天井から覗く眼に吸い寄せられる。 「ネ、ネ、ネズ、ミ、ミ」  顔を動かすことができず、ウシは必死の形相を浮かべ、隣りのネズミを呼ぶ。  視力が人並み外れて良いウシは、天井の隙間から、真っ赤に血走ったギョロリと剥き出た眼球が、瞬きもせずに睨んでくることに戦慄した。  恐怖に囚われて、声が出ない。  ウシは太い腕で、隣で雷に震えるネズミを何度も思い切り叩いた。 「アタッ!  アタタタッ!」  ネズミは跳ね起きた。 「て、てめえっ、上官に向かって手を上げるたあ、いったいどういうこった!  重営倉にぶちこむぞ!  こらあっ」  怒り心頭のネズミは、横たわっているウシに怒鳴る。   ところが裸電球の下でもわかるくらい、ウシの顔色は真っ白になっていることに気づいた。  ウシは顔を震わせ天井を見据えたまま、先ほど攻撃してきた太い腕を持ち上げて天井を指している。 「あん?  天井がどうかしたのか」  眉をしかめつつ、ネズミは細い目で天井を見上げた。  そのまま硬直する。 「だっ、だ、だだだーっ」  誰何(すいか)しようとしたのかどうかは定かではない。  ネズミの目にも天井から覗く、真っ赤に充血した目玉が映った。 「グギギギッ、ゥウオォーンンッ」  地底から響くような悪魔の叫び声が、天井から降り注いだ。 「シエェェーッ!」  素頓狂な悲鳴を振り絞り、ネズミは腰を抜かす。 「観自在菩薩ッ、行深般若波羅蜜多時ィ、照見五蘊皆空ゥ、度一切苦厄ゥ、舎利子ィ、色不異空ゥ、空不異色ィ、色即是空ゥ、空即是色ィ!」  顔面蒼白のウシは般若心経(はんにゃしんきょう)を大声で唱え始めた。  その昔、耳なし芳一(ほういち)が怨霊に連れて行かれるところを、和尚さんがこのお経を身体全体に書いたと言う。  なぜ耳だけ書き忘れたのか、それはおいといて、般若心経は古くから、困った時のお守りとして使われてきている。  ピカッ!   ドドーンンッ!  容赦なく雷鳴と落雷が続き、雨はもはや凶器のように大地に降り注いでいた。 ~※※~  わたくしは今、特等席である窓際のベッドの上で雷さまを鑑賞しております。  あっ、光った!  あっ、落ちた!   てな具合ですの。  ビリビリと窓ガラスが揺れるさまなどは、ビッグ・アーティストのライブをアリーナ席で観る趣きがございます。  そういえば、あのフランケンシュタインの怪物も、雷さまの力で命を吹き込まれたのですわね。  わたくしは春の生まれでございますが、やはり夏はようございます。  雨もシャワーのようだわ。  このまま修行僧のように、雨に打たれてこようかしら。  まだまだライブは続きそうですから、そろそろあの子を降ろして一緒に観ましょう。  よいしょっと。  押入れの天板をはずして、と。  あの『屋根裏の散歩者』も、こうしてよそさまのお部屋を覗きに行ったのですわね。  さすがにわたくしは、よう真似などいたしません。  どうせ覗くなら、今は科学の力を使ったほうが楽ですもの。  盗聴器はもちろん、赤外線暗視カメラや掛け時計型スパイカメラ、それにドローンなどのすぐれものが、簡単に手に入れられますものね。  あらっ、あの子はどこまで散歩にいったのかしら?  ここからだと暗くてよく見えませんわ。  でもこんなこともあろうかと、わたくしは「IGNUS」を所有しておりますの。  ご存じかしら、アメリカ国防省認定の最強の懐中電灯。  LEDで、照射距離は最大で千八百メートルよ。  これで屋根裏を照らしまーす。  あっ、いたいた。  あんなところでお休みしてるわ。  えーっと、いくら女子のわたくしでも、それなりに体重はございます。  まさか天井板をぶち抜く覚悟で上がるわけには、まいりませんもの。  ひい、ふう、みい、と。  このお部屋からの距離をざっと計算いたしますと、二件お隣の天井で停まっておりますわね。  そういえば、相次いでここのマンションからみなさま引越しされましたけど、いったいどうしてなんでしょう。    わたくしはご近所付き合いは大切と思いまして、週に三回は各ご家庭にママのキムチをお届けに上がっておりましたのに。    ご不在時には失礼のないように、風通しの良い和室の出窓へ、お皿に盛って置かさせていただいておりましたのよ。  マンション二階の出窓へは、今流行のボルダリングの要領で、スイッスイッと軽やかに登ります。  二階建てで、ようございました。  三階以上だと行政府に、クライミングの届け出が必要ですものね。  こう見えましても、わたくしは怪人二十面相さまばりの軽業師(かるわざし)のように身軽なんですの。  ですから、わたくしだけポツンと孤島に残されたような、そんな寂しさがございました。  と、思えば今朝がた、引越し屋さんが二件お隣のお部屋に荷物を搬入されておられましたから、嬉しいわ。  お引越しそばなどをいただくつもりは毛頭ございませんが、ご挨拶がてらうかがってみましょう。  そうだわ!  ちょうどよかった。  お近づきのおしるしに、ママ特製の白菜キムチを持っていってさしあげましょう。  きっとお喜びになるわ。  つばめは本当に気の利く女子でございます。                                 つづく
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