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◆9・晩餐と夜風
順番に入浴も終わり、皆で食事の準備を手伝い終えた頃には、丁度夕飯の時刻に差し掛かっていた。
一同は囲炉裏を囲んで、老婆の手料理を頂くことに。
「改めまして……この度は私ベネデッタ=ジェルミと孫のテオを助けて下さり、本当にありがとうございました。ささやかなお礼ですが、どうぞ召し上がって下さい」
皆が座る中、老婆ベネデッタが一人立ち上がり、礼を述べた。
フィーはそれに微笑みを返す。
「ベネデッタさん、此方こそだよ! お風呂に服に、温かい料理まで! 色々とありがとう♪」
「いえいえ。それと、良ければ今晩の宿も提供しますよ」
「わぁ! いいの!? 助かるね~!」
「……だな」
顔を綻ばせて喜ぶフィーに同意を求められたゼノアは、口の端を吊り上げて応じた。
「さぁ、それじゃあ夕食にしましょうか」
ベネデッタが料理の蓋を取り外すのに倣い、他の三人も自分の分を開けていく。
「うっはぁ……! ゼノア! 凄く美味しそうだよ!」
「あぁ、いい匂いがするぞ」
「お腹すいたー! もう食べよう!」
湯気の立つ料理を前にし、もう一秒でも待てない様子のテオを見て、ベネデッタもまた微笑みを浮かべている。
「ええ、では、頂きましょう」
「うん、頂きます♪」
「んじゃ、ありがたく頂くとするか」
「いっただきまーす!」
ベネデッタの言葉を合図に、晩餐が始まった。
砂地が剥き出しの囲炉裏は中央に台座があり、そこには鍋や鉄板を置けるようになっていて、その下で火を起こし、調理してそのまま食べられる造りになっている。
いま台座には鍋が置かれていて、その中で煮えているのはトマトベースにカボチャなど、様々な野菜がふんだんに使われたスープ。
また、囲炉裏の砂地をぐるりと取り囲む木のテーブルがあって、テーブルの下は床板から一段下がっており、足を入れて伸ばせる空間が広がっていた。
そのテーブル上には、色とりどりの料理が所狭しと並べられていて。
「うわぁ、どれから食べようかな♪」
美味しそうな料理の数々に目移りしたフィーが悩んでいる間に、ゼノアとテオは次々に手を付けていく。
玄米粉とグレープシードオイルで作られたパンに、この地方の郷土料理なのかゼノアが昼に食べた物と似た豆類と緑黄色野菜の炒め物や、黄色く瑞々しい果実など、片っ端から胃袋に収めていった。
「うん、めっちゃ美味いな」
「だろ? 婆ちゃんの料理は最強だ!」
「ほっほっほ。テオ、料理に強さは要らないよ」
ランプ型の光法具――光灯により照らされた室内は淡い橙色に染められて。
暖かく踊る会話は留まるところを知らない。
窓と屋根を強かに打つ風雨の音でさえ、今は伴奏にすぎず。
けれど、楽しい時ほど過ぎ去るのも早くて。
食事とその片付けを終えて一休みする頃には、もう静かな夜が訪れている。
「雨は止んだか?」
「いや、しとしと降ってる。この時期の雨は長いからさー。だから、今日中に種蒔きを終わらせたかったんだよねー」
ベッドの上で適当に見繕った本を読むゼノアが、窓辺で外を見ていたテオに声を掛けた。
テオの言う通り、耳を澄ませば小さな雨音が微かに聞こえる。
「ふーん。長いって、どんくらい?」
「まぁ降ったり止んだりするけど、下手すると一ヶ月とか?」
「そんなにか。そりゃ土いじりはし辛くなりそうだな」
「グチャドロになるからね。オレとしてはそれがまた面白いんだけど。……そうだ! 明日は一緒に泥遊びしよう!」
「ははっ。土砂降りにならなきゃイイな」
「うん!」
ページを捲る紙の擦れる音と、下の階からは皿を洗う物音が。
ベネデッタとその手伝いを志願したフィーの声も、内容までは聞き取れないが小さく届いてきていた。
静かな夜にはこうして、微かな物音がよく響く。
「ふぁ~ぁ。そろそろ寝ようかな。歯磨きしに行こう! ゼノア!」
「ん? 良いけど、俺は歯磨き用の道具なんて持ってないぞ」
「オレの予備をあげるよ!」
「いいのか? 助かる」
テオと連れ立って、洗濯物の林を抜けて風呂場に続く廊下へ。
トイレの斜向いに小部屋があり、そこに風呂場や炊事場に湯水を供給している法具――集火水晶があった。
白い石製の台座の上に、二〇cm程の水晶があり、その青く透明な晶石の内部には、赤き炎が揺らめいている。
「へぇ。コイツからお湯が作られてんのか? 面白いなぁ」
「集火水晶? うん、そだよ。歯磨きはこっちね」
「おう」
台座の隣に鏡面付きの洗面台があって、その湯水供給口には、集火水晶を簡略化したような象徴が描かれていた。
台座からは特に洗面台に対して物理的な接続などは無く、風呂場や炊事場にもそうだったが、どうやら無線接続であるらしい。
試しにゼノアが【天征眼】を凝らしてみると、各部屋へと繋がる法力の線が見て取れた。
「はいこれ、あげる」
「ん、ありがと」
テオから手渡された歯磨き用の道具――歯磨き丸。
小さなの柄の先に、白い球体が付いただけのシンプルなもの。
テオはそれをただ口の中に突っ込み、歯に当てている。
ゼノアもそれを真似て、口の中に入れてみた。
すると――
「ん……ッ!?」
突如、口の中で生き物のように歯磨き丸がうねりだす。
先端の球体は粘着質に変性し、どうやら歯の表面や隙間に張り付いて、自動で汚れを集めてくれる物らしい。
自動なのは楽で良いのだが、予備知識も無くいきなり勝手に口の中を這いずり回られるのは、気持ち悪いの一言だった。
「うがいして終ーわりっと」
テオが湯水供給口の右側を触れると水が出て、それで歯磨き丸の先端を洗い、手で水を掬って言葉通りうがいをする。
「トイレ行って先に戻ってるねー」
「お、おう」
一人置いていかれる、歯磨き丸に困惑中のゼノア。
大方の洗浄が終わったのか歯磨き丸が動きを止めたので、気持ちを切り替えテオに倣って、水を出して歯磨き丸の洗浄、うがいを行う。
慣れるまでに時間が掛かりそうな感触であった。
テオと入れ替わりで、ゼノアもトイレを使わせてもらうことに。
中はシンプルに、椅子式の便座が一つあるだけ。
ただ、その便座の横にも集火水晶の象徴と幾つかの文様がついている。
これは先程使用した時に試したが、局部洗浄用の湯水を噴出させる仕組みになっていた。
そしてこのトイレに限らず全ての下水は排水管を通って大地へと分散吸収させて、そのまま土壌の養分にしているらしい。
用を足し終えたゼノアは寝室に戻ってベッドに横になり、また本を読み始めた。
「ゼノア、まだ寝ないの?」
窓辺に置かれた物置台を挟んで反対側のベッドに潜り込んでいたテオが、薄目を開けて問う。
「ああ、もう少しこれ読みたいからさ」
「そっか先に寝るね。おやすみ」
「おう、おやすみ」
それで会話は終わりかと思われたが、
「ゼノア、明日は泥遊びだからね!」
眠そうな半目のまま語気だけは強くそう言い放つので、ゼノアは軽く吹き出しそうになりながら答える。
「分かったよ。他にやるべきことが無かったらな」
「うん、約束だからね! おやすみ」
「おやすみ」
言い終えるや否や、数秒で寝息を立て始めたテオに、ゼノアは苦笑を漏らす。
そしてまた、本へと視線を戻した。
【法術の基礎】と題されたその本には、これまで何度もページを捲ったのか、いたる所に色が落ちたり、紙が破れていたりと損傷が目立っている。
まるですやすやと眠りこける誰かの、努力の跡みたいに。
書いてある内容は法術の成り立ちから始まり、その種類や理論、実際の詠唱呪文、属性毎の特徴や相互関連性、力の諸元と代償など、子供が読むには難解すぎるものであった。
大人でも予備知識無しに読めるような代物ではなかったが、ゼノアにはさらっと目を通しただけで全て理解できてしまう。
……最後の数ページを読み終わり、喉の渇きを覚えて水でも貰おうかと階下へ向かうと、囲炉裏を囲んでフィーとベネデッタが何やら談笑しているようだった。
「ゼノア! こっちこっち!」
「ん、何かお話中か?」
フィーに呼ばれ、水を入れたコップ片手にその輪に混ざる。
「先程フィーさんとも話してたんだけど、ゼノアさん、今日はテオと沢山遊んでくれて、どうもありがとう」
「いや遊んだっていうか、法力の練習だぞ」
「そうね、でもあの子にとっては、畑いじりも法力の練習も、とても楽しい遊びになったと思うわ。久しぶりに見たもの。誰かと一緒に居て楽しそうに笑う、あの子の顔を」
「ふーん? まぁ確かに、一人でやるのはつまらないだろうけど」
しかしそれが、遊びと言えるほどの事だろうか?
片や生業であり、片や学業である。
「あの子には、もう父親も母親も居ないから。余計に、孤独を感じていると思うの」
「そういやベッドは四つあるのに、住んでるのはアンタら二人だけみたいだな。何があった?」
「ゼノア! そういうのは深く聞かない方が……」
「いいえ、良いのよ。私から振った話だもの。良かったら、この老婆の身の上話に、少しだけ付き合ってくれるかしら?」
微笑んだベネデッタの瞳には、どうしても離れてくれない哀愁が住んでいるようで。
「いいぜ。聞かせてくれ」
「ありがとう。では、そうね…何から話そうかしら。あれは、もう五年も前になるわね。
この国で、大きな戦争があったの」
「第十五次聖魔戦争、だね」
その言葉を発したフィーの表情が曇る。
余程、思い出たくない何かがあるらしい。
「ええ。その戦いに、あの子の両親――私の息子夫婦は、聖法術士として徴兵された。後は、ご想像通りよ。……二人とも戦争の最中、殉死、してしまったの」
殉死という言葉を紡ぐとき、悲愴に彩られた口元からは苦々しさもまた、溢れた。
「聖法術士と言っても、日常生活や畑作に関わる法術しか使えないのだもの。戦いなんて、そもそも出来るような力は無かったのに」
「それでも、数合わせのために誰彼構わず集めていたもんね。実際、そのお蔭で戦争には勝ったみたいだけど……」
ベネデッタとフィーの言葉から類推するに、犠牲は大きかった、という所か。
ろくに戦闘経験も無い人間が、殺し合いの場へいきなり放り込まれたらどうなるのだろう?
即座に対応できる者も、中にはいるかも知れない。
けれど大抵はいくら敵と言えど同じ人間を殺す、あるいは逆に殺されるかも知れないという日常とはかけ離れた異常事態に混乱し、忌避感を覚え、正常な判断など出来ず、いつも通りの動きすらできなくなるのではないか?
倒せるはずの相手すら倒せずに負傷し、逃げられるはずの場面で足がすくみ、無残に殺されて死ぬ。
長年訓練を積んで覚悟を決めた職業軍人と、非常時に寄せ集められただけの民間兵とでは、雲泥の差がある事など明白。
運悪く自分たちより練度の高い敵部隊に遭遇したら、何か有利な条件でも付かない限りは、為す術など無い。
「あの子は、父親と畑を耕すのが大好きだった。母親に法術を教えてもらうのが大好きだった。けれど、両親の死を理解してから数年は、どちらも見向きもしなくなったわ」
目を、逸したかったのだ。
見れば、思い出が蘇ってしまうから。
「ようやく私の手伝いの為に畑仕事をしてくれるようになったけれど、あの日から……テオが心から笑った姿を、見ることはなかった。――今日、貴方と出会うまでは」
静かに火を見つめていたゼノアは、視線をベネデッタに向けようと持ち上げかけて、ヤメた。
瞼を閉じて微笑んだままベネデッタが、目の端から一筋の雫を溢していたのが見えて。
「……これからは、いくらでも見られるさ。アイツは強い。この俺なんかよりも、遥かにな」
「ええ……ありがとう」
ゼノアはお世辞抜きに、そう思った。
あの小さな身体で、親の死を受け入れて、笑顔すら取り戻し、前を向いて努力している。
同じ境遇に立ったとして、自分にそこまで出来るだろうか?
自分なら、下手をすれば全てを面倒に感じて、あるいは後を追って、無茶な復讐でも企てて自らの死を選ぶかも知れない。
だから彼は、生きているだけでも奇跡的だ。
ここまで耐えて、頑張って生きてきただけでも、尊敬に値する。
それからそれぞれのタイミングで寝室へと向かい、強さを増してきた雨音に入眠を妨害されながらも、全員二一時頃には眠りについた。
――ひとしきり振った雨が止んだのは、深夜二時頃のこと。
ふと目を覚ましたゼノアは、尿意を感じ、のそのそとベッドから這い出てトイレへと向かう。
暗闇の中頼りになるのは、窓から差し込む薄ぼんやりとした月明かりだけ。
窓の小さな廊下ともなれば、それは尚の事。
しかし暗闇の中でも【天征眼】持ちのゼノアには関係無い。
例え無明であろうと、物の輪郭から色彩まで一切を判別できるのだから。
用を足し終えて戻る途中、ふと違和感を覚えて、玄関の方に意識が向く。
ゼノアはその方向を、視た。
するとスッと目が細まり、寝ている者に配慮してか物音を立てずに自身の背嚢を探ったかと思えば、サンダルを持ち出して土間に降りていく。
そしてそのサンダルを履き、外に出た。
……冷涼な風が吹く。
雨に洗われた空気はとても澄んでいたが、快適とは言えなかった。
昼間に注意を受けた通り標高の高さ故か気温の低下は著しく、草には霜が降りるほどで、とても薄着で長居できるような環境ではない。
踏みしめた玄関前の土は、固く凍っている。
――けれど、この空気感の中に混ざるモノに感づいてしまっては、踵を返して戻る訳にも行かぬのだ。
月明かりが雲に隠されていく。
蒼く広がる夜空からだと、高原の草は風で波打つように揺れて見えるだろう。
その中に一つ、歪な黒点が浮かび上がる。
玄関を背にして守るように立つ、ゼノアの正面。
少し離れた畑の辺りから、直径一〇mほどの黒円が、大地より出現した。
(もしかして、魔物ってやつか? この辺のは大体討伐されたんじゃなかったのかよ)
街の中心部から離れているとは言え、ここもまだ街の一部である。
この近辺には見渡す限り数多くの畑作農家が居住していて、温泉街ソレイユの食糧事情を担っているのだから、防衛線はまだここより外側に設定されているはず。
にも関わらず、どうしてこの魔物はここに侵入できたのか?
(理由を考えるのは、まずコイツを倒してからだな)
黒円より膨れ上がる【魔】の気配。
円の中心部が少しずつ持ち上がり、闇が這い出てくる。
ただでさえ冷たい空気が、更に凍えた。
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