◆12・法術元素概論と、奈落への道

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 ◆12・法術元素概論と、奈落への道

 風の向きへと従順になびく高原の緑毛。  その合間の道なき道を、一組の男女が征く。  女性の方は深々と緑色のローブで全身を隠しており、腰の高さ程もある周囲の雑草と見分け辛くなっている。  緋色の外套を纏った男の方は草を掻き分けながら先頭を進み、その背に向かって、女性が声を掛けた。 「で、どこに向かってるの?」  意図して低く出された声。  男性だと錯覚させるために、その身に染み付いた発声方法だ。 「知らん」  応じたのは、それよりも更に低く投げやりな声。  単純に説明するのが面倒で、質問をはぐらかそうと垂れ流されたものだ。  そんな不躾な態度はすぐに見破られ、女性が返す言葉は刃となる。 「いやちょっ……もう少し説明してくれても良くないかな? いくら面倒だと思ったからって、一言も説明しないのはどうかと思うよ?」 「と言われても、知らんもんは知らんしな」  フィーによる抗議の声など、ゼノアにとっては何処吹く風。  金髪の尾を揺らしながら、颯爽と歩み続ける。  フィーはその様子に辟易しながらも、しかし自分で付いて行くと決めた手前、ここで諦める訳にもいかず、質問の趣旨を変えてみることに。 「じゃあ……なんでこの方向に歩いていくの?」  先程から迷う様子もなく一直線に歩を進めるゼノアに、何か確信めいたものを感じていた。  だからこそ目的地が明確にあるのだと思ったのだが……。 「それは……昨夜の魔物を倒した後に、見たんだよ」 「何を?」 「こっちの方角に飛んでく光」 「光?」 「そう、光。ソイツがなんか、違和感あったからさ」 「ふーん……僕には、見えなかったなぁ」  魔物が倒された後にフィーが見たものは、七色の魂が踊るように空間へと溶けていく様だけ。  どこか一定方向に放射される光なんて、目には入らなかった。 「光が到達した場所はとりあえず視たから、後は着いてからだな」 「それならそう言ってくれればいいじゃない……にしてもなんか、行き当たりばったりだよね、ゼノアって」 「行動力が優れていると言ってほしいね」  人様からの批評批判にも動じず、ひたすらに進みゆくゼノアは、どんな障害物があろうと本当に一直線に進んでいく。  巨大な岩が大地から顔を出していれば踏み越え、すり鉢状に陥没した大穴は駆け抜け、切り立った谷ならば迷わず飛び降り、その底に横たわる大きな川を、飛び石で渡る。  流石にフィーは谷下りからそのままの状態だと付いて行けず、自身の身体能力を向上させるための法術を発動させることにした。 「ええぇ……? そこ道じゃないんだけどなぁ……仕方ない、【土の精よ、(こいねが)うは壮健なる活力を――フェオ・ウルズ!】」  フィーの全身を黄色の法力光が包む。  筋力や心肺機能などを大地の霊気にて底上げし、ゼノアに付いていく。 「お、それ便利そうな法術だな?」 「……また見ただけで覚えちゃったのかい? 頼むから君は使わないでよ? これ以上速くなられたら、追いつけなくなる」 「へいへい。にしても、それは黄色だけなんだ? 昨日は三色使ってたろ?」 「それも見てたの? ……てことはまさか、アレも習得しちゃってたりするのかな?」  と、一応問うてはみたものの返答を推測できたのか、その表情は軽くうんざりしていた。 「ああ、一目見りゃできるらしい」 「うわ……アレを習得するのに、僕が何年かかったと思ってるんだよ!」 「え、何年?」  フィーは苦々しい表情で。 「……五年」 「大変なんだな」 「雑な感想なら要らないよ!」  ゼノアの返答は、酷く平坦な声音だった。  フィーは納得がいかないらしく、どれだけ大変だったかを話し始める。 「普通は二元素の混合でつまずいて、三元素となると辿り着ける人の方が珍しいくらいなんだよ?」 「ほーん?」 「ほーん、て……」  あんまり興味なさそうな返事。  気勢を削がれたフィーは、ガックリと肩を落とした。  その様子を流石に憐れに思ったのか、ゼノアは興味を持っているかの如く話を広げることに。 「あー……その、なんだ。元素ってのは、どんな種類があるんだ?」 「……元素? 【基本元素】は、七種類だね。陽・陰・火・水・土・時・空で七つ。ここから二つ以上掛け合わせて【混合元素】を作るんだけど、陽と陰は正負の変性を司っているから除外されて……」  最初はいじけた調子の声だったが、説明が進むごとに明るくなっていく。  どうやら好きな話題であるらしい。  それから披露され続けた淀みないフィーの説明によると、【陽・陰】は法術元素における母音のようなもので【親性元素】と言い、必ず組み込まれるという。  それぞれ司る性質は真逆で、  陽:光・開放・拡大・始動・加速  陰:闇・閉塞・縮小・停止・減速  などの効果を持つ。  残りの五つ【火・水・土・時・空】は親性元素に対して【子性元素】と言い、二種以上の掛け合わせで性質変化を起こす。  例えば、元素一×元素二=【陽性変化・陰性変化】として表すと、  火×水=【蒸気・湯】  水×時=【侵食・氷】  土×空=【砂・岩】  のようになる。  術者自身の能力だけで元素二種の混合を行うことは難しく、契約と呪文詠唱により上位霊の力を借りるか、一〇年ほど修行して習得するのが一般的だと言う。  故に法術士として大成する者は、そのほとんどが幼児の段階から法術基礎学習なる英才教育を受けている。  稀に天才と呼ばれるような者ならば、大人になってからでも数週間程で二種混合に到達できる場合もあるが、ゼノアのように一目見ただけで習得可能な者は前代未聞だった。 「へぇ……なんでこんな力持ってんだろうな、俺」  説明を聞くことで、改めて自分の能力に疑問を持ち始めたゼノア。  大河を越えた先で崖を駆け上りながら、首をひねる。 「さぁ? でも必ず意味が在るはずだよ。この世に、偶然は一つも無いから」 「一つも? 何故言い切れる?」 「あらゆる事象に、必ず誰かの意図が潜んでいるからだよ」 「意図、ねぇ……」  意図、思惑、目的。 「その【誰か】ってのは、神や悪魔のことか?」 「うん、そう。目には見えないけれど、意志を持って存在する者たち――その全て」  妖精、妖魔、守護霊、悪霊……あらゆる霊的生物の全てが含まれると、フィーは示した。 「科学なんてものも随分と発達してきたけれど、その尺度たる物理法則だけでは世界の全てを説明できない理由が、ここにあるよね」 「物理法則――物の理か。物質だけなら、それで正しいのだろうな」  しかし世界には、心と霊の次元も重なり存在している。  無視するにはそれらの要素が大きすぎて、計算が狂うのだ。 「さて、誰かの意志が介在して俺が今ここに居るのなら、どんな意図が在るんだろうな」 「それを見つけるのは、君次第だよ」  崖を登りきったゼノアは、若干息を切らしながら遅れて登ってきたフィーに手を貸す。 「俺次第か」 「うん。君が何をしたいか、何ができるか。そういうのを考えていくと分かるかも」 「……良い天気だし、昼寝したいな」 「そうだね、せっかく晴れてるし……ってオイ」  ボケを丁寧に拾ってもらい満足気な表情になったゼノアは、また目的地に向かって走り出した。  現時刻では確かに晴れているが、湿気を孕んだ海風が山肌を撫で始めているので、じきに分厚い雲が形成され、長らく豪雨になるとの予報である。  情報源は、この地で数十年【天詠(そらよみ)】を行ってきたベネデッタだ。  先程、出発前にそういった細かい情報と、昼の弁当もくれている。  崖を登りきってしばらく進んだ先は、緑色の絨毯が波打つように複雑化した地形だった。  大滝の流水が、落ちる過程で幾つもの大岩にぶち当たり拡散し、その都度異なるアーチを各々描き、それがそのまま緑化したかのような、自然界による精緻で流麗な造形美を体現している。 「で、ここに入るの?」  滝壺に当たる場所には、大地にぽっかりと口のような穴が空いていた。  大地の口腔は高さ二m、横幅三mで、奥行きは真っ暗で先が見えない。  口内から嘔吐したように、茶色い土が外側に向かって広がっている。 「そうだ。怖いなら帰っても良いんだぜ?」 「だ、誰が怖いなんて言ったのさ!」  反論するフィーの声は若干震えていて、強がっているのが丸わかりで。 「強がるのは結構だが……まぁいいや」 「な、なんだよ。言いたいことがあるなら言えばいいじゃないか」 「言う必要性が薄れたんでな。とりあえず入ろう」 「そうなの? ……うん」  散歩でもするように、肩の力が抜けた調子で進むゼノア。  その後ろに、固唾をのむフィーが続く。  深緑に覆われた口腔外部とは違い、内部はむき出しの茶色い土ばかりだった。  時折細長いヒゲのような物が垂れ下がっているが、これは植物の根である。  邪魔な根を手で退かしながら、奥へ奥へと進む。  入り口から離れるほどに光量は薄くなり、視界が閉ざされていく。 「暗いね。ゼノア、何か明かりは持ってるの?」 「無い。俺は暗闇でも見えるから」 「便利だね。……じゃあ、僕はこれを使おうかな」  そう言ってフィーがウェストバッグから取り出したのは、自前の光源装置。  ジェルミ家にもあった照明器具【光灯】を、携帯しやすい形状にした物である。  照らし出された内部の空間は、数歩先から下方に向けて急激な坂になっていた。  それを見たフィーの背筋を、瞬時に悪寒が駆け抜けていく。  まるで本当にここが巨人か何かの口内で、そのまま飲み下されていくんじゃないかと思える形状で……。  しかし何も気にしていない様子のゼノアは、ペースを崩さず先に行ってしまう。 「あ、ちょ……! 待ってよ!」  ゼノアは内部の状態を視ていた。  洞窟を構成する地質や、この先がどうなっているのか、など。 「ねぇ、聞いてる?」 「いや聞いてない」 「聞いてよ! てか聞こえてるじゃないか!」 「はっはっは」 「そんな渇いた笑いで誤魔化せるとでも!?」  雰囲気にしっかりやられてしまったフィーは、幾分か余裕無さげにそう叫ぶ。  小走りでゼノアの背に追いつき、コートの裾をギュッと掴んだ。 「なんだ、緊張してんのか? 周囲に魔物は居ないから、もう少しリラックスしろよ」 「うぅ……お、オバケは居るかも知れないじゃないか」 「オバケ……くくっ……オバケてアンタ……!」 「笑うなーっ! こっちは本気で――きゃっ!?」  不意に鼻先へと水滴が落下し、驚いたフィーは短く悲鳴をあげてゼノアに抱きつく。  下り坂の不安定な足場であるため、思わぬ衝撃からゼノアは少しバランスを崩す。 「おっと、危ねぇ」 「ご、ごご、ごめん……」 「よくそんなんで一人旅なんかできたな?」 「……うん、野宿は一番しんどいよね」  からかい口調のゼノアに、真面目な声音で応答するフィー。  その顔はかなり蒼白になっていた。 「まぁ、もうちょい行けば雰囲気変わるから、少しは気分も変わるかもな」 「え? そうなんだ。この先って、どうなってるの?」  長い下り坂の先は、まだ暗すぎて何も見えない。  光灯の明かりも奥には到達していないが、ゼノアの眼には視えているようだ。 「それは着いてからのお楽しみ」 「楽しめるのかなぁ……」  こんな洞窟の先に、果たして楽しめるような場所など存在するのか?  フィーにとっては甚だ疑問であった。 「ここの地層を少し調べてみたんだが、どうやら火山灰や溶岩の堆積で幾層にも分かれているらしい」 「へぇ? そんな事まで分かるんだね……」 「恐らく何十年、何百年周期で霊峰が噴火し、それが積もり積もって複雑な地形を生み出したんだろうな。んで、いま歩いてるこの道は、昨夜の長雨が土砂崩れを引き起こして出来たものだ」  小粒な石と泥が多い地面は湿っていて泥濘みやすく、丸太でも転がして均したように滑らかである。  長雨により地中の水分量が臨界点を超え、水に溶けやすい柔らかな地質を持つ部分が、局所的に土砂崩れを起こしたのだろう。 「つまり、ここを歩いているのは、僕たちが初めて?」 「だな。人跡未踏の地だ。何があんだろな?」 「君は楽しそうだね……僕は嫌な予感しかしないのだけど」  ジェルミ家から徒歩三〇分、温泉街ソレイユからだと四〇分ほどの地点にできた大穴。  その内部をしばらく下っていくと、突然開けた場所に出る。  崩れた土砂は何処かに流されていった後なのだろう。  水が流れる音が微かに聞こえるその場所は真っ暗だが、何か――今までの洞窟とは雰囲気が異なっていた。 「さぁて、着いたぜ。雰囲気が変わる場所に」 「え、嘘でしょ? こんな場所に繋がるなんて……」  口角を上げるゼノアだが、眼光は鋭く周囲を見渡す。  平らな地面に降り立ったフィーは、その感触に違和感を覚えた。  何故ならば―― 「これって……人工、物?」 「ああ、どう見ても人工建造物だ。遺跡……あるいは、規模的には迷宮か」  フィーが周りを光灯で照らすと、地下に広がる巨大空間の正体が浮き彫りになる。  地面には石畳の床、壁には太く丸い柱があり、各所に装飾が施されていて、カビと泥の臭いが充満していた。  天井は崩壊した建材の合間から、土や岩が顔を出していて、時折水が漏れている。  空間の端には建造物を削り取るように自然の地下水脈が走っており、雨水はここを通って谷底の川へと流れていくのだろう。  今は静かに流れているが、雨量が増えればこの空間は埋め尽くされるようだ。  壁にまで泥が張り付いていることから、少なくとも昨夜はそうだったことが予想される。 (雨が降ったら、ここは水没するのか? 天候も気にしてないと危ないな)  周辺状況を元に思案するゼノア。  フィーは辺りの観察を続けていて、光灯で地下水脈の流れを辿り、上流を照らしていくと奥には――巨大な獅子が此方を睨んでいて。 「うわっ!? 魔物!?」 「違う違う。魔物は近くに居ないって言ったろ? よく見てみな」 「あ、え? んと……扉?」 「そうだ。デカすぎるけどな」  それは、高さ一〇m、横幅七mほどの巨大な石扉だった。  分厚く白い石材表面には、大口を開けた獅子の顔が荒々しく彫られている。 「雰囲気的には地獄の入り口だが、まぁ行ってみるか」 「……うん、確かに気分は変わったよ。悪い方向にだけどね!」  楽しげに微笑むゼノアに、苛立たしげに微笑むフィーが続く。  どうやら、色々と吹っ切れてきたらしい。
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