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◆3・神に伺いて知るは
「え? 今のは……?」
発動した当人であるツキナですら、その特異な出来事に驚きの声を漏らす。
「うそ、なに今の? あんな光線、見たことないわよ……」
ディアナもまた、両手を口に当てて息を飲む。
「結果は? なんて出たの?」
「え、ええ。見てみましょう」
遠巻きに傍観していた騎士たちですら、紙面を覗きに集まり始める。
多くの物が見守る中、ツキナが手を退けた先には、墨のような黒字でこう書かれていた。
氏名:Zenoah
身長:一八五cm
体重:八五kg
状態:記憶喪失
「名はゼノア……姓は開示されなかったのね。続いて身長、体重……ってこれは健康診断かしらぁ? 何を表示させているのよ」
「えーと……開示可能な情報全て、と念じたせいですね」
ジト目で突っ込むディアナに、ツキナも苦笑を浮かべる。
(俺の身長は一八五cmなのか)
「記憶喪失ってとこ意外は、ほとんど無益な情報ね……ん? 下の方に、気になる記述があるわよ。これは?」
リアレが示した先には――
位階:聖魔導双剣士
備考:天を征する眼を持つ者なり
――と書かれていた。
「聖魔導、ですって!?」
「……聖魔、相反する二極の属性を扱える、と? ありえない。本当だとしたら、史上初ですよ」
ディアナが声を荒げ、ツキナが驚愕に呻く。
「天を征する眼、というのは?」
「さぁ、なにかしら……?」
「私にも分かりません」
「……恐れながら殿下、それについてですが」
それまで黙っていたドウマが、難しい顔をしながら会話に割り込んできた。
「何か思い当たるの?」
「はい。自分が幼い頃、古い書物で読んだ覚えがございます。確か……【天征眼】と言って、あらゆる事象を見通し、見抜く眼力です。その眼力の持ち主は、世を正す格調高い神として描かれていたはず。透視によって見えた悪を討ち滅ぼしに駆け回る――謂わば馳身神ですな」
「つまりは……絵本になるような、神話の伝承?」
そこでリアレが青年に目線を戻すと、青年の顔も自分の方を丁度見ていて。
「……何? 何か言いたげね」
「ああ、ちょっと確認したいんだが、いいか?」
「言ってごらんなさい」
発言権を得た青年は、無邪気にこう宣った。
「アンタの身長って、一六八cmで合ってる?」
「……あ、合ってるけれど」
リアレはここで、ついに頭を抱えてしまう。
そのリアレに変わり、ツキナが疑問を口に。
「段々、驚くのに疲れてきましたね……一応聞きますが、どうしてそう思うのです?」
「ん? いや、そこに俺の身長が一八五cmって書いてあるだろ? だから俺の高さを一八五で割って、一cmの実寸を出して、リアレに当てはめた」
「計測まで、できるのね……」
リアレの疲れた声が、力なく抜けていった。
目隠しをされた状態で紙面の情報を読み、更には目前の人物の身長を正確に計測してみせたのだから、理解が追いつかないのも無理はない。
この男ゼノアには――その【天征眼】には、あらゆる物体を透過させ、視認した物・事象の、鑑定・識別が可能な力がある、という事なのだから。
(合ってた。ならディアナってのが一七二cm、ツキナは一五四、ドウマは一九三ってとこか)
暇つぶしに他の騎士たちの身長や武器の長さなども計測していたゼノアだが、誰も喋らなくなったので話を進めるべく、笑顔で発言する。
「とりあえず、怪しい者じゃないって分かってくれた?」
「分かるかっ!」
「怪しいを通り越して理解不能よ!」
「ちょっと黙ってて下さい!」
ディアナ、リアレ、ツキナから三連ツッコミを受けて、ゼノアの笑顔は凍りつく。
「まぁ記憶喪失というのは本当のようですから、殿下を狙っての無法者という線は消えたかと。……しかし導士級の使い手、ですか。だとすれば、我々の捕縛術など在って無いようなものでは?」
ドウマの何気ない発言に、今度はゼノア以外の面々が凍りついた。
「ゼノアとやら。貴様はその縄と魔法の拘束を、自力で振りほどくことが可能か?」
「ああ……多分」
「では何故、それをせぬ?」
「その方が、アンタらを刺激しないで済むだろ? こっちは攻撃するつもりなんてハナから無いんだしよ」
「ふむ……」
ゼノアの返答を聞いたドウマは、アゴ髭をなでながら思案を巡らす。
「殿下、本当に出来るか否か……自力で拘束を解かせてみても良いですかな?」
「何か考えがあるの?」
「はい。まずはこの者の言葉に嘘偽りがないか、その性格を判断するための一助となりましょうぞ」
「そう、ね。いいわ、許可しましょう」
「感謝致します。さて……ではゼノアよ。拘束を解いても良いぞ」
「はいよ」
そう言うや否や、ゼノアは拘束など初めから無かったかのように淀みなく立ち上がり、後には引きちぎられた縄が残され、その身体に巻き付いていた赤い茨の呪力は呆気なく空中に霧散した。
一糸まとわぬその肢体から淑女二名は咄嗟に目を逸らすが、一名――ディアナだけはむしろガン見していて。
「いやぁ、酷え目にあったなぁ。まさかイキナリ剣で殺されかけて、全身凍らされて、挙げ句には全裸のまま縄で縛られて、無断で髪まで切られちまうとか……アンタら非人道的にも程があんだろ?」
「……それは、貴方が入浴中に侵入してきたからでしょう? むしろ眼福に遭遇したことを感謝なさい」
ディアナが己の裸体を誇るように胸を張ってそう宣った。
「侵入だぁ? こっちはただ木の枝が折れて落ちただけだぞ。アンタらの裸なんざ興味ねぇから」
「じゃあ男の裸が良いのね?」
「違う……何故そうなる?」
「だって、こんな美少女を前にして可笑しいでしょう?」
「自分で言うな。人を平気で殺せるような女に興味ねぇだけだ」
ゼノアの口から、呆れの混じったため息が漏れる。
今までそんな反応を返されたことが無いためか、ディアナは苛立ちを覚えていた。
「むぅ……そもそもなんで木の上になんか居たのよ?」
「腹減ったから、木の実取って食ってた」
「……はぁ? 猿なの?」
ジト目になり言葉が続かなくなったディアナに代わり、今度はリアレがゼノアへと向き合う。
「貴方の仰る通りね。此度の非礼、お詫び致します。どうかご容赦を」
腰から背中を斜め四五度に倒し、右手を腰の後ろ、左手を胸の前に当てて、リアレは謝意を表明。
「殿下! このような礼儀も知らぬ輩に頭を下げるなど!」
「礼儀を知らないなら教えれば良い。それに礼儀を語るなら、まずは自分から示すべきよ」
頭を下げたまま、リアレはドウマに向けて言葉を返した。
「吊り合わねぇな。まさか人の命を脅かしておいて、言葉だけの謝罪で終わらせるつもりか?」
「貴様……! あまり調子に乗ると」
「少し黙りなさい、ドウマ」
身を起こしたリアレがドウマを窘める。
「はっ! 失礼しました!」
「ではゼノア。何をすれば、許して頂けるの?」
「ん? そうだなぁ」
ゼノアはその問に、腰に手を当て、斜め上方に視線を泳がせながら思案しだす。
その間、騎士たちの間には緊張が走っていた。
どんな無理難題を要求されるのか?
要求次第では、この化物と一戦交えねばならぬかも知れない。
そうなれば、自分たちの命など風前の灯火では――
「とりあえず、服を一式くれ。あと、腹減ったから飯も」
「……それだけ?」
「え? ああ、そうだが」
何が疑問なの?
という顔のゼノアに対して、その他は一様に拍子抜けしていた。
◇◇◇◇◇◇
それから小一時間後のこと。
ゼノアはお詫びとして、一枚布の薄橙色したローブに、サンダルと下着を市場で買ってきて貰い、今はリアレたちの豪奢な部屋で注文した食事を待っている途中だ。
赤い生地に金糸の刺繍が施された絨毯が床一面を覆い、ベージュの壁と天井にはワインレッドで複雑な模様が描かれていて、窓辺には白いレースのカーテンが揺れているような、無駄に豪華な部屋――その中央の円卓にて、ゼノアとリアレが向かい合って座っている。
「あぁ……腹減ってやばい」
「そろそろでしょ? もう少し待って」
壁際のマホガニー製アンティークソファにディアナが、窓際のローテーブルを囲む革張りのソファには本を読むツキナが座っていて、騎士二名が入り口付近にて直立不動のまま待機中。
その背後の木製扉がコンコンと外側から鳴り、騎士の一人が応対した。
やがて開かれた扉からは、食事を持ってきたメイドの姿が。
カートの上には水飲み用の杯と水差し、パン、野菜と豆類だらけの炒め物っぽい料理が乗せられており、出来たてらしく湯気が立ち上っていた。
「お! やっと来たか! 待ちくたびれたぞ」
「どうぞ、召し上がれ」
「そりゃ遠慮なく頂くさ」
「あ、その前に。……髪を縛った方が良いわ」
「髪?」
「その長さだと、料理に入ってしまうもの」
そう言うとリアレは立ち上がりながら、自身の髪を後ろ手に纏めていた赤いリボンを解き、ゼノアの背後に回って髪を一纏めに縛り上げていく。
「はい、これで良さそうね。そのリボン――あげる」
「いいのか? じゃあもらっとく」
縛り終えると、リアレはまた元の椅子に戻った。
ゼノアは食事と一緒に付いてきたスプーンとフォークを持って、今度こそ食べ始める。
最初に一口頬張った後、口に運ぶ手が止まらなり、夢中になって料理を減らしていく。
「どう? 美味しいの? それ」
「ああ、十分美味いぜ。食うか?」
「いいえ、遠慮しておく」
「あっそう」
無表情なリアレの問に、食べながら答えるゼノア。
部屋着を着たリアレは、緩めの水色のシャツと白いズボンになっているが、部屋着にしてはそのまま外に出られそうなくらいにデザインが洗練されていた。
ディアナとツキナも同様。
変わらないのは騎士二名の武装だけである。
「それで貴方、記憶が無いのでしょう? これからどうするつもり?」
「これから? ……まぁせっかく生きてんだし、とりあえず自由に歩き回ってみようかとは思ってるけど」
何の不安も見せず、真顔でそう話すゼノア。
「そう。前向きなのね」
「そりゃ後ろには何も無いからな。だったら、必然的に前を向くしかないだろ?」
「まぁ、確かに」
戻る場所も、過去の記憶も、何もない。
だからゼノアは、未だ見ぬ世界を楽しみに、進む。
「もし良かったら、私の所に来ない?」
王女としての提案。
こんな美しい王女になら、諸手を挙げて仕えたいと思う所だろう。
「いや、やめとく」
しかしゼノアは断った。
それも即答で。
けれどリアレは予期していたのか、眉一つ動かさずに言葉を返す。
「それは残念ね。参考までに、理由をお聞かせ願えるかしら?」
「そりゃだって……アンタ、この国のお偉いさんなんだろ? そんなヤツに仕えるってなったら、さっきのデカイおっさんが言ってたみたいに『言葉使いを正せ』とか、『礼儀をー』とか言われるのは目に見えてるし」
「それが……面倒なの?」
「あぁ、面倒事は嫌いだ。息苦しいのも嫌い。そんなもんより勝手気ままな自由が欲しいだろ」
「そうね……私も出来ることなら、自由が欲しいわ」
リアレの顔が俯き、自虐的な儚い笑みを象る。
それを一瞥したゼノアは、しかし敢えて触れずに別のことを言う。
「あぁー食った食った。とりあえず満腹だ」
「良かったわね」
ゼノアは立ち上がり、おもむろに一歩下がる。
「ん? どうしたの?」
「いやなに……一応俺も、謝罪と礼をしないとな」
ゼノアは先程見たリアレの礼を、丁寧に真似た。
腰を折って斜め四五度に上半身を倒しながら、右手は後ろに回し、左手を胸の前に置いて――この国の立位による最敬礼をして、口を開く。
「事故とは言え、入浴中に失礼をした。すまない」
「いいえ此方こそ……って何よ、礼儀なら十分覚えられそうじゃない」
ゼノアは顔を起こしながら真面目な表情を崩して、笑みを浮かべる。
「それから、服と飯、ありがとな」
「え、ええ。どう、いたしまして」
その無邪気な笑みに、リアレは少し戸惑い、そっぽを向いた。
こんな笑顔は、久しく向けられた覚えがなかったから。
「んじゃ、もう行くわ」
ゼノアは、入り口へ向かって歩き出す。
「縁が在ったら、またどこかで会うかも知れないわね」
「そうだな。そんときは、氷漬けとか勘弁してくれよ?」
「貴方こそ、女性のお風呂にはもう乱入しないように」
「ははッ! 気ぃつけるわ! まだ死にたくねぇし――じゃあな!」
最後に一度だけ振り返って、ゼノアは扉から出ていった。
騎士によって扉が閉められ、部屋には静寂が降りてくる。
「あ~ぁ。あっさり行っちゃったわね。いいの? あんなイイ男、そうそう居ないわよ?」
ラフな紅いドレスに身を包み、あられもない格好でソファに座りながらゼノアを挑発していたつもりのディアナだが、結局相手にされず、意気消沈してそう呟いた。
影響されたのは、顔を赤らめて見張りどころではなくなっている騎士たちだけ。
「仕方ないわよ、本人にその気が無いのだから。確かに導士の力は魅力的だけれど、だからこそ無理強いをして敵に回したくはない。……それに、ただ逃したワケじゃないのは、ディアナも解ってるでしょ?」
強大な力を持っている者を、そのまま解放する訳がない。
リアレは、相手に悟られず監視体勢を構築するよう、ディアナとドウマに命令していた。
「そうじゃなくて……貴女、そろそろ結婚相手を選ばなきゃいけないのよね? 実力もあって容姿も完璧、頭も切れる……但し性格と記憶はぶっ飛んでるけど。でもそれを差し引いても、貴女に群がる貴族共よりは百倍マシだったんじゃない?」
「あら、心配してくれてたの? 優しいのね」
「そ、そんなんじゃないわよ! 貴女が力を持ってくれてた方が、私にとっても都合が良いだけだから!」
ぷいっと膨れて顔を背けるディアナに、リアレは苦笑を禁じ得ない。
その本音と建前は、逆にしとくべきでは?
そう思えて、笑いが込み上げてくるのだ。
「そう? じゃあ、これからもご協力をお願いするわ。お互いの利益のために」
「何よその微笑みは?」
「別に、ただ喜んでいるだけよ。心強い味方がいるからね」
「……全く。そうやってすぐに人を信用するんだから。もう少し用心なさいな」
言いながらディアナは立ち上がり、ツキナがいる方へと向かう。
「ええ、十分気をつけるわ」
リアレは返事をしながら、別の事に思考を向ける。
(それにしてもまさか……あんな安物で、あれほど喜ぶなんてね)
リアレはゼノアの為人を見るべく、衣服も食事もなるべく安い物を与えたのだが、それに対し彼は嫌な顔一つせず、むしろ無邪気に喜んでいた。
記憶喪失故の無知かと思ったが、言動を見ているとどうも違う。
服やサンダルに関しては、機能性もデザインもベタ褒めであったし、料理に関しては、肉も魚も使っていない最安値の品にも関わらず、本当に美味しそうに食べていて。
「ツキナ……貴女何をそんなに熱心に読んでいるの?」
思考を中断させたのは、ディアナの声。
「神理聖教の聖典――【至凰言典】ですよ。見れば分かるでしょう?」
よせば良いのに、この二人は口を開けば何かと喧嘩をする。
相性が悪いのだろう。
「それは分かってるわよ。いつも読んでるクセに何で旅先まで来て、そんなに熱心に読んでるのかって話!」
「ああ、そういうことですか。実は、気になることがありまして」
「気になること? 何が気になるって言うの?」
「……それが思い出せなくて、こうしてひたすらページを捲っているんです」
「はぁ……それは残念ねぇ」
ガウリイル王国の国教たる神理聖教。
三〇〇〇年前に開祖が記した【至凰言典】は一〇〇〇ページを超える分厚い書物であり、その中から微かな引っかかりを頼りに目当てのページを探り当てようとするのは、砂浜に落とした砂金を探すに等しい。
それ以上掛ける言葉も無かったのかディアナも沈黙し、ページを捲る音と、風がカーテンを揺らす音がしばらく室内に響いていて。
――昼下がりから夕刻へと、時は過ぎて行く。
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