◆4・霊峰の街にて

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 ◆4・霊峰の街にて

 解放されたゼノアは、正に自由を楽しんでいた。  記憶が無いため目に映る全てが新鮮で、ただ街を歩いているだけでも退屈しない。 (へぇ~色んなヤツがいるなぁ)  緩やかな坂道には縦横の幅が広い石段が組まれていて、その脇を固める赤褐色の地面には各種商店が立ち並び、観光客相手に賑わいを見せている。  ゼノアは坂道を下りながら、十人十色の特徴を持つ通行人を観察していく。 (赤白黒に、青黄色……髪色だけでもこんなに。肌も白から黒まで、階調が細かい)  装いや身体的特徴もまた、実に多彩であった。  先程のドウマよりも大柄な赤褐色の肌を持つ男には頭部に短く鋭い角が生えており、丸太のような太い手足の筋肉を惜しげもなく晒す軽装で、肩に身の丈程の重そうな箱を抱えてるにも関わらず、坂道を登る足取りは軽い。 (荷運び、か? あっちは……冒険者?)  くたびれた外套の中に鈍色の軽鎧を着込み、肩や腰に剣を差した者たちの一行。  中には幾重にもローブや外套を纏って大きな杖を持ち歩く者や、何かしらの機構を有していることは分かるが用途不明な武器を持つ者まで。 (なんだあのラッパみたいなやつ……あっちは投げ輪? へぇ、色々在っておもしれーなぁ。でも、こんだけ武装してる奴らがいるってことは、そんだけ物騒なのか?)  武器が在るということは、それを以て対処せねばならない対象が存在する、ということになる。  それは人か、それとも魔物か。  いずれにせよ、他の街に移動するならそういう情報も必要なのだろうと思えた。  誰かに話を聞こうと周りを見渡して目をつけたのは、身近な右手側の店前で談笑する五〇代に差し掛かったくらいの男性。  癖のある短い黒髪に丸く白布を巻いて身体は紅白の外套で包み、通行人を捕まえて商品の売り込み中らしい。  雑多な小物を扱う店の主らしく、褐色の顔に温和な笑みを浮かべて商品の良さを事細かに説明していた。 「ようおっちゃん。ちょっといいか?」 「ん? はいはい何の御用で……しょう」  ゼノアの方を見た瞬間、店主は笑顔のまま一瞬固まる。 「……あ、じゃ僕はこれで」  店主に引き止められていたらしき緑色のフード付きローブを着込んだ少年は、これ幸いとばかりにその場を立ち去った。  どうやら、話しかけられて中々打ち切ることのできないお人好しだったらしい。 「あ、お客さん待って! ……あぁ~ぁ……逃げられちゃいましたねぇ。それでおたくは? どういったご用件で?」 「ちょっと聞きたいことがあんだけどさ、この辺って物騒なの?」 「はい? 物騒? いえ、特にそんなことはありませんよ」 「いやだって、結構武器持った奴らが歩いてんだろ?」  店主は、何を聞かれているのか分からないという風に首を傾げながら返答を紡ぐ。 「お客さん……おたくどっから来たの? この辺じゃなくても、道を歩けば魔物に当たる時代なんだから、街を移動するのにも武器は必須だよ? 世界中のどこに行くんでもね」 「はぁ、そうなのか。いや俺さ、自分がどこから来たかも分からねぇ状態だから、そういう情報聞いときたかったんだ」 「分からない? 記憶でも失くしたのかい?」 「そうなんだよ。どこで落としたかも分からねぇんだが……って当たり前か! あっはっはっは」  自分で言って自分で笑う。  店主は変な物を見る目から、憐れむような目に変わり、最後に吹き出した。 「ぷっ……! おたく変なヤツだなぁ。記憶失くしたってのに、よくそんな陽気でいられるもんだ!」 「え? だって面白いだろ? 自分のバカさ加減に笑えてくるぜ」  肩をすくめて両手を広げるゼノアの掌に、店主はぽんと何かを置く。 「ん? なんだこれ」 「記憶失くして、そんな格好までしてるくらいだ。困ってるんだろ? 持っていけ」  渡されたのは、鎖のついた金属と石が合わさった何か。  良く見れば、小さな金属の棒を縦横に組み合わせて十字を作り、その中央に宝石みたいな何かを埋め込み、縦棒の上に鎖を取り付けたネックレスのようで。 「くれるのか? ありがたい。あぁ……でもよ、これの意味が全然分からねぇんだが」 「そんなことすら忘れちまったんだな。えーと、ソイツは【魂戒十字(ルトス)】と言って、財布の代わりになるもんさ。それに通貨情報を記憶できる代物よ」 「財布? 通貨? 通貨って、硬貨とか紙幣じゃねぇんだ?」 「そういう知識はあんのかい。まぁそういう目に見える通貨も併用しちゃいるが……こんな風にな」  そう言って店主が懐から取り出したのは、数枚の硬貨――材料の種類によって大きさと装飾が異なる円状に加工された金属だった。  続いて紙幣――四角い紙片に絵柄や文字が印刷された物もまた、数種類存在するらしい。 「へぇー色々あんだな」 「ああ。こちとら商売だから持ってるが、今やほとんど皆【魂戒十字(ルトス)】持ちだから、大体こっちで取引してるよ」 「ってぇことはつまり、これだけで金のやり取りができる?」 「おう、そういうことさ。まず胸に掛けて、この真ん中の石に触れるだろ? で念じるんだ。数種類の使い方のうちの、どれかをな」  取引における使い方の種類とは【管理者もしくは利用者の登録・解除】【残高参照】【請求・支払・譲渡】である。 「試しに一回やってみるか? まずおたくを【管理者兼利用者】として【登録】と念じてみてくれ」  ゼノアは言われた通り、首から下げた【魂戒十字(ルトス)】の宝石部分に触れて念じると、宝石から空中に白色の文字列が踊った。  そこには【管理者兼利用者の登録完了】と描かれている。 「できたな。んじゃ次は【一〇〇〇ガウリアの請求】状態にしてくれ」 「お、おう。この石に指置いて、念じる……ん、これで良いのか?」  次は宝石部分から、空中に白色の文字列――【請求 一〇〇〇ガウリア】が描かれた。 「そうだ。で今度はこっちの番。そちらに自分の【魂戒十字(ルトス)】を向けて、【一〇〇〇ガウリアの支払】を念じる」  フィィィン、という何かが回転するような音が鳴って、請求の文字列が宝石内に戻っていく。 「これで完了さ。【残高参照】をやってみな?」 「どれどれ……おお、ホントだ! 一〇〇〇ガウリア入ってる!」  空中に表示された白色の文字列には【残高 一〇〇〇ガウリア】と表示されていた。 「ソイツはプレゼントだ。何かの足しにしてくれ」 「いいのか!? ありがとな、おっちゃん! 恩に着るぜ」 「まぁ困った時はお互い様よ! あぁそれともう一つ、【魂戒十字(ルトス)】は魔物を倒した時に近くにいれば、その魂魄を吸収して換金することも出来るから、魔物と戦うならちゃんと首に掛けときな」 「はぁぁ、そんな機能もあんのか。魔物退治してりゃあ、もしかして生きていける?」  その問に、店主は通りを練り歩く武装集団を親指で示す。 「だから腕に覚えのあるやつは冒険者になる。勿論、魔物の魂魄はその個体の魔力量――つまり危険度に比例して純度も増すから、高額換金を目指すなら命の危険も増えることになるがな。死体からも剥ぎ取って売れる物があんなら、そいつも金になるしよ」 「なるほど、腕次第ってワケね」 「だけど、おたくの場合はまず衣食住を確保しないと、今夜で詰むぞ?」 「はっ!? なんで!?」 「周りを見てみな。おたくみたいな薄着をしたヤツ、ほとんどいないだろ? 居ても特殊な能力を持った化物クラスの奴らだけさ」  確かに店主の言う通り、薄っぺらい布一枚で闊歩しているのは、ゼノアとさっき見かけた鬼みたいなヤツくらいのものだろう。  他はこの店主も含めて、衣服や鎧の上にも外套をしっかりと纏っている。 「え、何、寒くなるの?」 「ああ、夜は冷え込むんだ。だから悪いこたぁ言わねぇ、まずはあそこに行け。こっから坂道を下った先……T字路になってるのが見えるだろ?」  店主が指したのは坂道を一〇〇mほど降りた先。  ちょっとした平地で円形の広場になっていた。  左右には街道が伸びていて、遠くの方まで雄大な自然の景色が見渡せる。  空の青と太陽の白、森の緑と大地の黄色に、建造物の赤や銀色まで。  どうやら山岳や丘陵が多く、凹凸の多い地形らしい。 「広場にある一際ゴツくてデカイ建物――あれは王国軍の詰所だ。そこに行って助けを求めると良い。王国軍は辺境だと役所も兼任してっからな……って、おい。おたく聞いてんのかい?」 「いやぁ、今まで近くばかり見てたから気づかなかったけど、スゲェ良い景色だなぁ!」  ゼノアは背伸びしながら片手を日除け代わりにして、蒼き瞳を輝かせながら遠景を眺めていた。 「ったく、とんだお上りさんだね。そりゃあ景色は良いだろうさ。反対側を見てみな? ここは【ガウリイル王国】内で最も高い山――【霊峰ソレイユ】の五合目、天下の【温泉街ソレイユ】だ! 山頂は五六七四mだから、現在地は大体二八〇〇mくらいかね?」  言われた方向を見てみれば、先程自分が出てきた宮殿みたいな建物の背後には、絶壁の如く遥か天空に向けて聳え立つ岩石と赤土の塊が。  段々と視線を上に向けていくと、七合目付近から山頂まで冠雪によって真っ白に染められていた。 「うぉぉぉおお! でっっっけぇええええ! 登ってみたいけど、山頂行くの大変そう」 「当たり前だ! 生半可な装備じゃあ到達出来ねぇさ。ここはまだ南風と日当たりの影響で温暖だが、こっから先の気温は登るごとにガクンと下がっていく。夜は風と太陽どちらの恩恵も受けられないしな。そんな真夏の寝巻きみたいな服装じゃあ、すぐに凍死しちまうよ」 「そっかぁ。残念だけど、寒いのはゴメンだな。登るのは、もっと暖かい服を手に入れてからにするかね」 「そうしとけ。なぁに、山は逃げねぇさ! 気楽に構えるといい」 「ああ、そだな。おっちゃん、色々教えてくれてありがとよ! 俺はゼノアだ」  ゼノアはそう言いながら笑顔で右手を差し出す。  店主もそれを見て、笑顔で握り返した。 「ワシはリニ=ブラッケだ。ブラッケ商会っていう、ちったぁ名の知れた会社をやってるもんさ」 「リニか! 覚えとくぜ。良かったらアンタも覚えといてくれ。コイツの代金も含めて、そのうち恩返しに来るからな!」 「だーはっはっはっは! いやいや、あげた方は忘れちまうもんだよ! アンタも忘れてもらって構わんぞ! その代わり目の前で困ってる奴が居たら、自分で出来ることなら助けてやりな!」  快活に笑うリニは、そのまま親指を立ててウィンクをキメる。  髭モジャ褐色のナイスガイ、ここにあり。 「ははっ! わかった。ありがとな」 「おう! そんなことより、おたくはさっさと軍の詰所に行け! 暗くなってからじゃ閉まっちまうから」 「はいよ。んじゃまた!」  ゼノアはリニに背中を押され、手を振って別れた。 (軍の詰所かぁ。あれ、どこがそれだっけ? まぁいいや、歩いてりゃ分かるだろ)  数秒で目標地点を忘れた――というか聞き流していたゼノアは、とにかく真っ直ぐと広場に降りて行く。 (しかしいいヤツだったなぁ。金稼げるようになったら、お礼、忘れないうちにしに行こう)  灰色の石畳に覆われた直径三〇mほどの広場に着くと、中央に三段重ねの噴水が見えた。  下段が直径五m、中段が三m、上段が一mくらいの設計で、上段から水が湧き出ている。  空中を落ちる水は無色透明だが、噴水内の水は石材のせいで薄緑色なっており、水面が落水で揺らぐ度に陽光を乱反射して、微細な白光が明滅を繰り返す。  噴水の縁には、何人かが座って休憩中のようだ。  ゼノアもそれに倣い、座って休憩しながら詰所を探すことに。 (なんか色々あるなー)  ぐるっと見渡してみれば、様々な店舗が軒を連ねている。  鉄臭そうな武装具屋に物で溢れそうな雑貨屋、店先に色とりどりの花々を飾った植栽屋と、その隣には青空席を設けたお洒落な喫茶店が。  どの店も広場に接する壁を取り払うことで道行く人々が覗きやすい造りになっており、人通りの多さも相まって全体的に活気を見せていた。 「あ、あの!」 「ん?」  辺りをぼーっと眺めていたら、急に自分の正面から透き通った少年のような声を掛けられて見てみると―― 「あ、えっと……」  緑色のフード付きローブで顔も身体も覆い隠した人物が、目の前に立って何かを言いたげにしている。  ゼノアは言葉を待つ間、また暇つぶしに相手の身長を計測した。  結果は王女リアレと同じくらいで一六四cm。  全体的に細身ではあるが、ほどよく鍛えられた肉付きである。  ついでに見えた物は、ローブ内に隠されし凝った意匠の弓矢と短剣。 「落ち着け。時間はあるから、ゆっくりでいいぞ」  フードの中は影になっていて肉眼だと見えづらいが、【天征眼】ならば視認可能だ。  黄緑色の細く真っ直ぐな髪に覆われた顔は息を飲むほど整っていて、目尻が下がった柔和そうな瞳は珍しい翡翠色。  肌は余程これまでダメージを避けたのか真珠のように白く潤いがあり、見る者を惹き込む美しさを放っていた。 「あ、う、うん……その、さっきは、ありがと」 「さっき? 何の話だ? 俺ら初めまして、だろ?」  フードの少年は慌ててパタパタと顔の前で手を振りながら、言葉を探す。 「いやその……僕さっき、お店の人に捕まってたんだけど、君のお蔭で助かったから」 「え? ……ああ、リニんとこに居た客か! 別に助けようとしたワケじゃねぇから気にすんなよ。変に律儀だなぁ、アンタ」  ゼノアはとても愉快そうに笑顔でそう告げる。  それを見て、少年も緊張が少し解けたらしい。 「うん。その、どうしても、お礼言いたくなって」 「そうか。んじゃそのお礼ついでに、軍の詰所ってどの建物か教えてくれない?」 「軍の詰所? それなら、君の真後ろの大きな建物だよ」 「は? 真後ろ?」  その言葉でゼノアが振り向くと、噴水の先に薄青色した左右対称のゴツい館が鎮座していた。  それはT字の突き当りで、真っ直ぐ歩いてきたゼノアなら、一番目に入る建物なワケで。 「あ、あぁぁ~……アレか」 「う、うん。特徴知らずに探していたの?」 「いやその……聞いたけど、耳を通り抜けてた、みたいな?」 「あ、あはは。そういうことも、あるよね」 「そだな、あははは! ……さーて、んじゃ行ってみるか。助かったぜ、ありがとな」 「いえいえ、どういたしまして」  ゼノアは立ち上がり、その大きな建物に向かって歩き出す。  噴水を回り込み、広場を通り抜けて。  近づけば、三階建てくらいで真ん中は三角屋根、その両脇に四角い屋根の家が並んでくっついてるような感じだった。 「へぇー。入り口の両脇にあるやつ、太くてデカイ柱だなぁ。その両端の装飾も凝ってていいね。うん、良く分からんけど芸術性を感じる」 「うんうん。荘厳で綺麗だよねー」 「…………ん?」 「え? どうしたの?」  横を見れば、例のフードマンの緑色が。  目元は影になってて相変わらずよく見えないが、その下側には楽しそうに自然な笑みを象った口元が見えている。  くいっと両方の口端が吊り上がった状態だ。 「いやその、アンタもここに用があるのか?」 「無いよ?」 「……じゃあ何故ついてくる?」  しばしの沈黙が、二人の間に横たわる。  フードの下から僅かに覗く上品な唇が、その両端を持ち上げて孤月を描いた。
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