第1話 生と死と

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「お引き取り下さい。これは夫の、数少ない形見なんです」    石造りの住居にて、床に伏した女が瓶を抱きかかえ、来訪者に背を向けながら痛切に訴える。その瓶の半分ほどを満たしているのは、砂とほぼ相違のない遺灰であり、女が悲痛に身をよじる度にさらさらと音を立てて波打った。 「ですが、これは規則です。例外はありません」  黒衣の青年が見下ろすような形で、無感情に応える。彫刻のように均整の取れた顔は、美しさよりも鉄仮面のような冷徹な印象を与えていた。 「まだ温かいの、生きてるのよ」 「じき冷めます。さあ早く」 「嫌……」  溢れんばかりの涙と共に、顔をゆがめながら駄々をこねる子供のように、女は頑なに遺灰を渡そうとしない。青年は痺れを切らしたり、舌打ちをするのでもなく、一切の間を置かずにこう続けた。 「納入を拒否された場合、来月から約三十倍の税が課せられますが、それでもよろしいでしょうか?」 「いいわ。この人と一緒に居られるなら、身体を売ったって、何だって……」    思わずため息をつく青年。しかし、玄関の外で聞き耳を立てる上司に助けを請うことはない。すると、まだ拙い二足歩行で、女の元に寄り添う小さな影が現れた。夫のもう一つの忘れ形見、彼女の実の娘だった。 「ま、ま」  「死」をまだ知らない、無垢な存在。父を喪った事実もまた、知る由もない。しかしその眼は、今この場で涙を流す生者への、微かな憂いに満ちていた。 「お子様も、あなたもまだ生きている。死んだ命と今ある命、どちらが大事か、よく考えてください」    少しの沈黙を経て、女はようやく無言で遺灰の入った瓶を手渡した。 「ありがとうございます。旦那様のご冥福を、時葬官一同お祈りしております。旦那様の刻む時を、健やかにお過ごしください」    慰めの言葉をかける。しかし、定型文を読み上げる機械の様に。外に控えた彼の上司が、少し難色を帯びた表情を浮かべながらも、黒い帽子を傾けながら静かに微笑んだ。外の世界は世界中のありふれた悲劇を映すかのように、薄暗い灰色の雲に覆われていた。
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