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波音はバランス棒を手に、右足を綱の上へと出した。初舞台ということで、今日だけはバランス棒を持つ許可をもらっている。それと命綱があるとはいえ、高所が怖いことに変わりはない。練習は幾度もしたが、恐怖と不安に加え、本番の緊張が上乗せされると、波音の頭の中はほぼ真っ白になっていた。
綱をぐっと踏みしめ、左足をその前に出す。もう後戻りはできない。観客の声は次第に静かになり、彼らも波音の姿を注視していた。極力下を見ないように、これでもかというほど真っ直ぐに前を向いて、波音はゆっくりと前進する。
中央は特に綱がたわんでしまい、波音はそこで、一瞬だけぐらりと横に揺れた。しかし、すぐに棒を頼りに体勢を立て直す。波音が新人であることは観客たちも悟ったらしく、小さく「頑張れー!」「あと半分!」という声がちらほら聞こえるようになった。
(な、泣きそう……!)
この曲芸団の団長の、スパルタとも言える非常に厳しい特訓を切り抜けてきた波音は、観客の優しい言葉に感極まり、目を潤ませていた。これでは前が見えなくなってしまうと、瞬きをしてなんとか堪える。息をふーっと吐いて、到着地点へと必死に進んだ。
(あと、少しだから)
残り五、六歩といったところまでやってきた波音は、安堵感から笑みを浮かべる。これならもう大丈夫だと、再度右足を踏み出した。が、その足首が、意図せずかくんと曲がった。
「えっ!?」
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