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路地裏を駆け抜けて、必死に壁に縋る女に、いつもと違う大きめのナイフを振り上げる。
鈍い感触が手に伝わって。
ーーああ、泣き叫ぶ声がする。耳鳴りのような甲高い声。絹を裂くような、とはよく言ったものだ。もう一度振り上げ、女を見下ろす。
この女は、見たことがあった。どこであったのだろうか。思い出せないけども確かに彼女の顔を私は知っている。
えいと突き出すと、ずぶりと肉を通す感触を手に受ける。小さくくぐもった声をあげ、女はうずくまってしまった。
……力の加減が難しい。
いつもの使い慣れたナイフなら、ここまで時間がかかることはないのだが。握りしめた血塗れのナイフはいつもより大きな刃で、ほんの少し眉間にしわを寄せる。
いつものナイフでしかやりたくないのに、なんで見つからないのだろう。
昨日の帰宅後、お気に入りのナイフが唐突に姿を消した。どこかに置き忘れたかとも思ったが、間違いなく部屋にあるはずだ。
ーーでも見つからなかった。忽然と消えたのだ。ならば、と持ち出したのが、趣味で買っておいたこのナイフだった。
手入れを怠ったこともあり、切れ味はイマイチ。もう少しどうにかなってくれるといいんだが。
もう一度。突き出したナイフが相手を貫いた瞬間。
後ろで、人の声がした。
目の前の相手ではない。彼女の顔は蒼白で、もう逃げる術もないだろう。全身を震わせ、必死に傷口を抑えようとしている。
見られたなら仕方ない。慣れたグリップを逆手に持ち直しながらくるりと後ろを振り向いた。
一瞬 感じたことのない 静 寂 が 周囲に 満 ちた。
そこにいたのは肩にもつかないくらいの短い髪の女の子。
私のナイフを握ったその子は、信じられないという顔をして震えている。
その顔には、見覚えがあった。
ふ、と小さく口元が笑う。
そうだったね。やっと思い出したよ。
その姿は、どこからどう見ても自分自身。まだ真っ白な。血に染まったことのない幼い頃の私そのもの。
私が初めて殺したのはーー。
握っていたナイフを離し、両手を大きく広げる。
駆け寄ってくる彼女を抱きしめれるように。ーー全ての始まりを受け入れるために。
あの日の私がやったように、叫びながらナイフを振り上げた私は、私の目の前に迫っていた。
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