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真剣におれの話を聞いていた女はニヤリと笑い、
「やっぱり」と言う。
「やっぱり、なに?」
「あなたはわたしの思っていた人だということです」
それから、女は自分のことを語り始めた。最初は自分がいかに変わっているか、人と違う感性を持っているかなどを快活に話していたが、次第にトーンが暗くなっていった。そして、裏切られた男のことに話は移っていった。
そいつが、どれほどひどいことをしたか。騙されてかなりの金額をとられてしまったことや、自分以外にも女がいたことを話した。同時に、どれほど素敵だったか、どれだけ好きだったかを話した。
シャンパンをバカみたいに空けて騒いだ東京湾でのクルージング。一見さんお断りの店にも苦労してもぐりこんだ秋の京都旅行。雪の降ったクリスマスの夜に受けたプロポーズ……。
もしかしたら、嘘も混じっていたかもしれない。いや、むしろ嘘のほうが多かっただろう。
だが、それでいい。
過去は事実とは違った物語となり、その物語は生きる力になるのだから。
話の途中で女は何度か泣いたが、終わりの頃になるとすっきりとした明るい表情になっていた。
「仮に一夜だけ、いや、一瞬でもすべてを燃やし尽くせた時間があれば、それだけで幸せなことだよ」
おれは女に言った。
女は頷いた。
「今日で辛かった思い出を全て忘れたらいい。明日からは新しい人生を始めるんだ」
「そうですよね。そうします」女はそう言って笑った。
おれたちはバーを出た。
酔いもあり、おれたちは身体をからませるように歩いた。
雨が降り出した。
強い雨だ。
おれたちは雨をしのぐため、近くにあったコンビニに逃げ込む。
雨がざあざあ降りになる。おれたちはしばらく黙ってコンビニから外の様子を見ていた。
「これからどうする?」おれは女に聞いた。
「旅に出たい」
「どこへ?」
「どこでもいい。誰もいない場所がいい。そして、ゼロから人生をやり直したい」
おれは女の言葉の意味を瞬時に理解した。
おれたちは雨の中、走り出した。
雨に打たれながら、女は嬉しそうに笑い声をあげる。遊びに興奮する子供のように、女の呼吸が弾むように激しくなる。
おれたちは人のいないほうに向って走っていき、やがて歩き出し、止まった。
疲れたからじゃない。目的は遂げるためだ。
雨がますます強くなった。
おれは覚えている。
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