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「赤城さんにとってはそうでも、俺にとってはそうではないよ。俺にとっての赤城さんは、初めて手に入れたいと思った、ただ一人の女子だ」
そのような台詞は、聞き飽きた。今までにも散々に紡がれてきた、愛の言葉だ。まやかしの言葉だ。
吉原を訪れる客は、床の中の赤城が好きなのだ。粋で気風のいい性格からは想像もつかないような甘い声で啼いて、与えられる熱に喘いで、縋りつく腕に酔いしれているだけ。きっと、粗末な小袖に身を包んだ赤城に往来ですれ違っても、気づくことはない。――――でも。
榛名は違う。榛名は床の中の赤城を知らない。床の中の赤城を知らないくせに、赤城のことを手に入れたいと言う。――――それはなぜ?
「……だったら、手に入れてみたらいいじゃないか。この身を抱いてみたらいい。そしたらあんたも、自分の勘違いに気づくさ」
放った鋭利な言葉たちが、空々しく、二人の間に漂う。
怒るかと思った。怒って、赤城の提案通りに、この身も心もめちゃめちゃにしてくれると思った。そうだったら、楽だったのに。
榛名は、赤城が今まで見たこともないほど悲しい目をしていた。酷く傷ついた顔をしていた。
今にも想いが溢れそうな目を細めて、震える手で、赤城の心を掴む。
「よりにもよってあなたが、俺の気持ちを勘違いだと決めつけないでくれ。もっと自分を大切にしてくれ……」
震える語尾を隠すように、熱い手に引かれる。
触れるか触れないかのかすかな抱擁を残して、榛名はすっと立ち上がった。
「……赤城さんの言う通り、今夜は帰った方がよさそうだ」
今にも泣きそうな声で榛名が告げたのは、茹だるような熱い夜空に太った満月が鎮座していた頃。月は欠け、今となっては爪で引っかいたようなか細い月が、辛うじて夜空に引っかかっている。
それまでに榛名が松葉屋を訪れることはなかった。
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