10人が本棚に入れています
本棚に追加
「それで、俺は思うのだ。前に赤城さんにも話しただろう? 鉄の船が浮くには蒸気の力が必要なんだ。閉じ込められた蒸気があっちこっち逃げ惑って、最後には耐え切れずズドーンとなったのがボッカーンとなった鉄の船が水に浮くのだからな、これを応用して……」
やたら擬音語の多い会話を前に、欠伸を噛み殺すのに必死だった。
夜更けの登楼から夜明けまで、話の聞き手を務めるだけでおつとめがもらえる。こんなにうまい話はない。誰もがそう思うだろう。
実際に同じ店の遊女の中には、この気前のいい客を捕まえた赤城のことを妬んでいる者も多いだろう。もし、表だって文句を言う者が現れたら、赤城としてはこの聞き役を交代してもいいと思っている。
そう思うほどに、客の話は珍妙で荒唐無稽で、欠伸の出るものであった。
(いや、そもそもはあたしの短慮がいけねえんだ……)
遊女なら誰彼構わずと喋り倒していた客が、なぜ赤城に的を絞ったのか。その所以を思い出した途端に、眉間にずきりと鈍い痛みが生まれた。
事の起こりはみつき前。気まぐれに妓楼を訪れては、夜な夜な話だけを撒き散らしておつとめを置いていく奇妙な客の噂は、それより前に耳に届いていた。
それでも、客に指名を受けたのはその夜が初めて。この新吉原でたった八軒しかない大見世の松葉屋で、「花魁」の呼び名を許された部屋持ち女郎。普段ならば夜にお茶を挽くことなどありえないのだが、この日はどういうわけかそのありえないことが起こっていた。今思えば、この時から既に不運への第一歩は始まっていたのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!