本編

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「あんたがどうしてもって言うのなら、駄目元であたしから楼主に頼んでもいいけど……」 「違いんす、姉さん。わっちは別に、榛名様に懸想をしているわけじゃなくて……」 「惚れていないってんなら、何なんだい」 「榛名様のようなお優しくて明るいお人柄に憧れているだけざんす。わっちの夢は、優しいだけが取り柄のような殿方と、貧しくてもあたたかい家庭を作ることざんすから」  今度こそ、どう応えていいかわからなくなった。  あさひは七つの頃に吉原へ売られた。生家はそれなりの暮らし向きだった江戸の商家だったという。両親は大恋愛の末に結ばれたおしどり夫婦。三人の子に恵まれ、順風満帆に見えた商売は、しかしお内儀が病に罹ったことをきっかけに左肩上がりとなった。そのうちお内儀の薬代も厳しい苦界となり、薬代の代わりに一番末の娘が吉原へ売られた。  お内儀は泣いて引き止めたというが、一家の大黒柱の決定を翻すには至らなかった。そんな、自分の実の娘よりも妻の命を選んだ父親のことを、あさひは今でも「日の本一優しいおとっつぁん」と慕っている。話を聞いているだけで虫唾の走る赤城は、父親の話をすることを禁じていたが、どういうわけか今日は口が滑らかになっているようだ。美化した父親像を、榛名に重ねているからかもしれない。 「んな戯言は、無事年季明けをしてから口にするんだな」  すっかり機嫌を悪くした赤城が、ぷいっと前に向き直る。あさひがどんなに慌てた声を出そうと、赤城が反応することはなかった。
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