代わり筆

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 朝から長屋中がまるで正月がきたように浮き足だっている。吉乃が湊のもとに輿入れをすると決まって、やっとその朝がやってきたのだ。  腰高障子が開いて白無垢姿の吉乃がおみつに付き添われて出てきたとき、辺りの空気が震えるほどのどよめきが起こった。紋付姿の矢兵衛は流れる涙を拭うことさえ忘れている。 「まぁ、何ときれいな」  白無垢はさよが大先生のもとに輿入れをされたときに召されたものだった。 「おめぇ、いいのかよ。このまま吉乃ちゃんを若先生に盗られて」  辰三が由蔵に囁いたが、見惚れて耳には届かぬといったふうだ。矢兵衛に手をとられ歩く花嫁の後ろにきよみ長屋の面々がぞろぞろとついて行列は堀端を歩く。  川風は柳を揺らし、川面を行き交う猪牙舟もまるで祝い舟のようにゆっくりとついてくる。  花嫁さんだ、花嫁さんだぁ、口々に囃しながら行列の後に先にとこどもたちの駈けて行く姿が綿帽子に隠れた吉乃のうれし涙に濡れる目の傍をよぎっていた。
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