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面影
カラッと暑い日差しの下、私は目の前に広がる海原を見つめながら、ボウっとジッポに火を灯した。冷たいジッポには、私たちが家族になった日付が丁寧に彫刻されている。私のものじゃないこのジッポは、私の人生の全てを捧げた人のもの。鉄製のジッポには、もう、彼の熱は残っていなかった。私の指先を凍らせるように、冷えきっている。
私はしばらく、それから出る炎をじっと見つめながら、私の指先から伝わるだけの熱を残すように持った。
そしてポケットの中にある1枚の手紙を取り出してぼんやりと見つめる。これを忘れないように、目の奥にあるなにかに焼き付けたあと、私はジュっと炎を写真に移した。
これでいい、これでいい。
何度も自分に言い聞かせていると、指先に熱が近づいてくるような感覚があった。
何を躊躇しているというのだろう。早くしないと私の指先が熱を帯びてしまうというのに。
それなのに私はこの面影も感じない写真を抱きしめて、炊きあがる炎を消したいと思った。
その時、カランと足元にジッポが落ちた音で正気に戻ったと同時に、私の手からスルリと写真が抜けていった。
潮風に乗り、灰と化したそれは風に乗ってキラキラと日差しを纏いながら私の世界から消えていった。
「最後まで、貴方はひどい人ね」
足許に落ちたジッポを見ながら私は呟いた。
きっと、このジッポが無ければ、私は彼との思い出を燃やすことはなかった。
これが落ちる音が聞こえなければ、私は痛みと引き換えにしてでもあの写真を一欠片だけでも手元に残しておくことが出来たのに。
彼との思い出の形は、まるで全てを忘れるんだ、と言わんばかりの代物だ。
彼は、とても優しい人間だった。
でも、私にとっては辛い優しさだった。
私は足許に落ちているジッポをトンっと軽く蹴った。
ポチャンと聞こえた音は、ソレが海にぶつかる音じゃない。きっと私が泣いた音だ。哀しいのかもわからない。だけど今だけはこの誰もいない海岸で1人泣くことを許して欲しい。
永遠に止まらないかのように、私の瞳から涙は溢れ続けた。
きっとこれまで私が飲み込んできた全てが溢れているのだろう、私は人生で泣くことが1番嫌いだったから。
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