第1章

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 藤野美咲は毎日パンを作っている。  良質のバターを贅沢に使用し、香りよく仕上げたクロワッサン。ジューシーな厚切りベーコンをはさみ、歯ごたえも心地よいバケットサンド。新鮮なキウイ、苺、バナナ、メロンがたっぷり入ったフルーツサンド……。  彼女が働いている『ペンギンベーカーリー』は、街の普通のパン屋だ。だが、パンは生地から作り、店で焼くのはもちろん、フレンチやイタリアンなどの手法も取り入れ、オリジナリティに溢れた創作パンも作る。  だから美咲はパン職人であるとともに、料理人としての自負を持っている。わたしたちはどんなパンでも作れるし、わたしたちの作るパンは、お客様を幸せにできる、と。 「ねえ、ねえ、『ティファニーで朝食を』って映画があるらしいけど、本当にティファニーで朝ごはん食べられるの? 併設のレストランがあるのかな。だとしたら、やっぱりパンも出すんだよね。どんなパンなんだろう? きっとオシャレなパンなんだろうな」  一緒に焼きたてのパンをお店に並べながら、同僚の北原ハルカが美咲に言う。  ハルカは、自分がパン屋で働いているというイメージを気にいっいる。なんとなくオシャレだと思っている。合コンなどでも、料理好きで家庭的な子だなと男子から好感を持たれ、モテそうだと考えて、この仕事を始めたのだ。 「朝食を出しているわけないじゃないよ。あれは主人公の女の子がティファニーのショウウィンドウを見ながら、パンとコーヒーの朝ごはんを食べるということなの」  こう見えて美咲は映画にけっこう詳しい。休みの日には、動画配信サービスを利用して、何本も映画やドラマを観る。『ティファニーで朝食を』はちょうど先週観たばかりだ。 「へえ、そうなんだ。美咲ちゃんはモノシリだね。わたしも観てみるよ」  ハルカは感心したように言うが、きっと美咲と話した内容などすぐ忘れてしまうことだろう。 「ほらほら、今日も来たわよ」ハルカは美咲に肩をぶつけながらささやく。  彼は毎朝、同じ時間にお店にやってくる。中腰になりながら横移動し、パンを吟味していく。 〈本日のおすすめ〉のところで特に時間をかける。今日の〈本日のおすすめ〉は季節の野菜を使ったラタトゥイユのチーズトースト。美咲の自信作だ。だが、彼はじっと見るだけで手は伸ばさない。これもいつものこと。
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