第1章

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「パンに限らず、食べ物って人を元気にしてくれるものじゃないですか。何て言うか、生きるための必要な栄養素をとるだけじゃなくて、今度あれを食べようということが生き甲斐にもなるし、実際、おいしいものを食べると幸せな気持ちになる。それってどうしてなんだろうって思うんです。わたしがこの仕事をしているのも、そのことが知りたいからかもしれません。青山さんのパンの記憶には、その答えのヒントが隠されているような気がするんです」  美咲は考えをまとめながら懸命に話した。  青山は美咲のその言葉に感動していた。だが、その一方で感動を押さえ込もうとする自分もいた。      *  その後も何度か青山から話を聞き、実際に作って試食もしてもらった。  だが、その度、「とてもおいしいです。でも、すいません。これではないです」と青山は申し訳なさそうに言った。  フレンチトーストが好きということは、甘いものだろうという推測から、〈はちみつバターと生クリームのトースト〉を作ってみた。四角形のものかもしれないと、ミニキューブ型のパンの中にサツマイモの餡やクリームを入れたパンも焼いてみた。しかし、青山の首を縦に振らすことはできなかった。  やがて、「ありがとう。でも、もう十分です。いや、十分過ぎます」と青山は目をつぶり、項垂れながら言う日が来た。 「気にしないでください。わたしが好きでやっていることですから……」  美咲は慌ててパン探しを続けるよう青山を説得する。  だが、青山は首を横に振り、「これ以上、あなたに迷惑をおかけするわけにはいきません。本当にありがとうございました。美咲さんにしていただいたことは決して忘れません」  きっぱりそう言うと調理場から出て行く。その背中に美咲は声をかける。 「あの、もし、何か思い出したら、すぐに連絡してください!」  青山は微かに頷き、そのまま出ていった。  それから青山はお店にも来なくなった。  美咲の心の中に空洞ができてしまった。      * 「どうしたの? 元気ないね」  ハルカが声をかけてくれる。 「ううん、そんなことないよ。でも、ありがとう。心配してくれて」  言葉とは裏腹に、この数日、美咲の心は晴れなかった。何をしても楽しくない。大好きなパン作りにも、気持ちが今ひとつ入らない。
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