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「いい声だったわねえ…兵隊に取られたって聞いたけど、生きてんの?」
「3か月前に帰って来たんだよ、南地から。うちにも来てさ、生きて帰りましたって、又、よろしくお願いしますって。それがね、マラリアに患ってたんだってさ、それに玉の井なんてすっかり変っちゃたんだろ、ジャズかけてカモーーンなんだから、新内どころの騒ぎじゃない?やりきれなかったんじゃない、首吊っちゃったの、先週」
「死んじゃったの?」
「死んじゃったさ、戦争でも助かった命だってぇのに、かわいそうに」
「…そうなの…男の新内ってのは珍しかったのにねえ」
気の毒には思ったが、芳枝は「死んだら負けだ」と腹で思った。
戦争から生きて帰っても、そのあと生き残っていく戦いがまた始まるのだ。
藤沢に戻るともう夕飯の支度をキヌが始めていた。
芳枝はすぐにかっぽう着をかけて台所に入った。
「遅くなりました」
キヌは背を向けたまま
「おかえり」
と言った。牛蒡をいりつけているらしい。香ばしい醤油と油の匂いだ。
「疲れたでしょ、一休みしなさいよ、おばさん達元気だった?」
「はい、なんとかやってます」
キヌは芳枝に優しかった。というか、まだ籍の入っていない嫁を、何処かお客さん扱いしているようだった。
モンペに着替えて居間に戻ると、ちゃぶ台の上に芳枝あての電報が乗っている。電報を見ると芳枝はドキリとした。10代の頃から、芳枝に届く電報はキク親子からの金の無心に決まっていたからだった。
「芳枝さんに電報届いてるよ」
「はい、わかりました」
差出人は弟の昭治だった。
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