5、たった一人の弟

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昼前、昭治は古着らしいダブダブのチャコールグレーの背広を着て、小柄な女を連れてやってきた。くっきりした二重の丸い目、口元が少し突き出た女は愛嬌のある童顔。180センチ近くある昭治の脇で、子供のように小さいので若くは見えるが、明らかに、22歳の昭治よりは年上だ。 「信子です」 意外に低い声だ。人の良さそうな笑顔で、おっとりした頭を下げた。 年齢は、芳枝より年上の34歳。昭治よりは12も年上だった。 当時30前後の女は、適齢期…当時、女は18から23歳くらいで結婚するのが普通だった…が戦争に重なり、男が不足していて未婚の女が多いのだった。それにしても一回りも年上とは。 信子は、しっかりした年上の女というよりは、素直な大人しい性格のようで、昭治の方が色々命じて威張っていた。東京女子大を卒業し、空襲でやられるまで新橋でBG(ビジネスガール、今で言うOL)をしていたという。しかし信子にはきどったところは全くなかった。それどころか、玄関に脱いでそろえたパンプスは拭いたこともないように埃だらけで、むしろ少しだらしがないように見えた。昭治とは下北沢の下宿が同じで仲良くなったらしい。 昭治は、姉さんが許せば明日、籍を入れるという。しかし許すもなにもない。信子のお腹にはもう子供がいるというのだ。二人は用意した混ぜご飯と鯛の塩焼き、あらで作った「潮汁(うしおじる)」もお替りして、ぺロリと平らげた。よほど腹が減っていたのだった。
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