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6、東宝争議
昭治が東宝映画に正式に入社したのは
終戦2年後の1947年。
戦後の娯楽が少ない中
映画業界が、これから伸びることは確かだった。
ところが、終戦して間もなく
東宝では初めて従業員組合が結成され
そこから暫く労働争議の嵐が吹き荒れる。
映画、演劇業界は
戦前から
共産主義の監督や脚本家などを内包していたが
それが核となり、
戦中、思想のため仕事にあぶれやすかった
学生や運動家を雇い入れる傾向があった。
戦後思想の自由が解放されると
それらの人たち中心に急激に反動気運が高まり
1946年3月の第一次の労働争議が起こった。
これは日本初の本格的な労働運動と言われている。
昭治が入社した1947(昭和22)は
第二次争議がやっと治ったタイミングだったのだ。
「群集心理の悍(おぞ)ましさは
戦争中イヤというほど見たじゃないか
『群れる』ことは大嫌い
右も左も結局のところ同じ穴に落ちる
自分は自分しか信じない」
これは後年
筆者に昭治が語っていた信条だった。
国中が集団心理に陥った戦時中さえ
腹の中で絶対『軍国少年』に染まらなかった昭治は
労働争議も冷めた目で見ていた。
騒ぎが収まり、自分の生活が安定することだけを
ただ望んでいたのだったが…。
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