7 またも、あの悪魔の影

3/3
前へ
/114ページ
次へ
夏の終わりから 昭治は妙な咳をするようになった。 風邪と思っていたのだが、 秋に入っても続くので医者に行くと 「肋膜」と言われて 東宝を休職して家にいるというのだ。 「肋膜」というのは「結核性肋膜炎」の俗称。 結核菌が肺に深く浸潤する前の初期の状態のことを言う。 安静と栄養によって大抵治るが、 戦後の食糧難で、当時は国民病とされていた。 「なんでもっと早く、知らせてこなかったの!」 「姉さんに迷惑かけるな、って 昭治さんが言うもんですから」 (どのみち頼ってくるなら同じじゃないの) 「家に寝てるったって 子供にうつったらどうするのよ」 「は…い」 打てば響かぬ とでもいうか 信子は、いつもこんな調子だった。 逆にS家の女は 受け答えも早く打てば響く方なので 反面、神経質なところがある。 信子ののんびりした性格は 昭治にはかえって、心地良いのだろう。 「入院した方がいいとは 言われてはいるんですけど…」 その先は言い淀んでいる。 入院費がないのだ。 信子は素直で辛抱強いようだが 子供を預けて 自分が稼いでくるという逞しさは無い。 そういう思いも至らないらしかった。 それで芳枝は今までも 何やかや名目を付けて 100円200円(今の価値では2,3万の価値らしい)と 金を送ってやっていた。 その度にキヌには言えずに毅に頼む。 すると毅は何も言わずに渡してくれた。 だが、今回は100円では済みそうも無い。 「わかった。 とにかく近々、昭治の様子を見に行くから 今日はこれを持って早く帰りなさい 遅くなると冷えるから」 そう言って 家計用の財布に入っていた金を渡して とりあえず信子を返した。
/114ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加