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6 「お酌」時代
芳枝は6歳から三味線、踊りも始めてはいたが、本格的な仕込みに入ったのは尋常小学校を卒業した12歳だった。長唄、常磐津、踊り、それらは全て芳枝にとってはただの「習い事」ではない。これから家族を養っていくための職業訓練であり、厳しい修業なのだった。祖母タツや、母キクはじめ、花柳界で生きる伯母たちに言われるまま、芸者になることが当然というような、運命の一本道が芳枝を待っていた。勝野と別れ肺を病んだ母キクと、まだ幼い、父親違いの妹や弟の食い扶が12歳の芳枝の肩にかかっているのである。いよいよ芳枝に「お鉢が回ってきた」のだった。
小学校を卒業すると、今までとお師匠さんの目が変わった。稽古が厳しくなったのだった。稽古が終わると、おばあさんのおタツが迎えに来た。
「芳枝ちゃん、あんたのおっかさん、おキクさんは、この柳橋では有名な美人だった。ただ気位が高過ぎて芸者としては難しいところがあった。あんたはおキクさんより愛嬌があるから却っていい妓(こ)になるよ、ただ少し腺病質だね…肺は大丈夫だろうかね」
父親譲りのなで肩と薄い胸とタツの顔をかわるがわる見てこう言った。
「痩せてはいますが芳枝は丈夫で病気したことないんですよ。おキクはケンシキが高くってあんなことになったでしょ、この子はお多福だから、ちょうどいいんですよ」
タツは愛想笑いをして芳枝のおかっぱ髪をなでた。(お母さんはあんなことになったって、どういうことかしら。それに…オタフクってなあに?)
母キクのことを柳橋で知らない人はいない。「あんたのおっかさんは美人だった。名妓だった、踊りの名手だった」と皆が言う。一方「ケンシキが高くて気が強かった。親不孝だ」というタツの言い分は、子供の芳枝にはまだよくわからなかった。いずれにしろ、母キクの容貌も潔癖な性格も、芳枝はあまり好きではなかった。7歳からこのかた一緒に暮らしたことはない。抱き締められたり、手をつないだり、同じ布団に寝て甘えたことも無かった。たまに会っても、なんとなくよそよそしい。普段そばにいつも居てくれる祖母のタツと伯母のハナのほうが肉親の情を感じられた。特にタツは芳枝を不憫がって舐めるように可愛がったから、唯一芳枝が甘えられる肉親だった。
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