7 孝行むすめ

3/4
前へ
/114ページ
次へ
まだキクが芝の勝野の屋敷に住んでいた頃は、芳枝は経済を頼られることもなかった。たまに芳枝が遊びに行くと、昭治は「ねえさん、ねえさん」となついたが、マキ子は芳枝にあからさまに対抗心を持った。5つ年下のマキ子は、勝野に似て、鳩胸で堅太りの体格。玄関で仁王立ちになると「ここはマッコちゃんのおうちで芳枝ちゃんのおうちじゃあないわよ、早く芸者屋へ帰ったら?」と言い放った。 有る時、芳枝が芝へ遊びに行くとマキ子はシナ服を着て得意げに出てきた。それは勝野の友人が、満州から買ってきたものだった。艶やかな絹の黒繻子に金の縫い取り、薄桃、緑、水色のキラキラするビーズで牡丹や薔薇の刺繍がほどこされていた。揃いの柄のスリッパーの甲の部分には、小さな金細工の蝶が飛び出してゆらゆら揺れていた。「わあ、きれい」芳枝がおもわずしゃがんで金の蝶々に指を伸ばした。「汚い!さわらないでよ」とマキ子は叫んでその手をはらった。「満州のお土産なんだから、汚い手で触らないで」そしてあからさまに「芸者屋の子が私の姉さんだなんて、女中たちに恥ずかしくって言えないわ」と言った。   キクは勝野と別れ2人の子供を連れ柴の屋敷を出たが、柳橋のおタツの元には帰らず、渋谷の円山町にツテを頼って移り住んだ。円山町は柳橋と比べて場末の芸者街だったが、子供を抱えてキクは再び芸者として座敷に出た。次に移り住んだ市川ではもう芸者には出ず、将校の奥様方相手に踊りを教えた。しかし病み上がりの体はだんだん弱り、美貌は大輪の花がしぼむように衰えていった。キクの衰退と反比例するように、芳枝は娘らしく成長し、柳橋では芸者として市場価値が上がっていった。キクは、芳枝に経済を頼らざるを得なくなっていった。 まだ10代の芳枝が金を持って帰ってくるとキクは、マキ子や昭治に対して「芳枝姉さんのお陰でお前たちは食べているんだよ、姉さんを大切にするんだよ」と繰り返した。このキクの言葉ほど芳枝を満足させるものはなかった。母にとって厄介な荷物でしかなかった自分は、いまや母の頼みの綱になっている。えにしの薄い母娘だけに、芳枝はキクの期待にこたえたいと一層思うようになっていった。柳橋の家に帰ると、おタツやハナが、「芳枝は孝行娘だね」と褒めるのだった。
/114ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加