8 花柳界の荒波に乗り出して

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 半玉として座敷に出て3年目、17歳の時「大日本精糖の社長」が「水揚げ」を申し込んできた。「大日本精糖」とは、澁澤財閥の中枢企業で、昭和11年当時、軍とも結びついて南地進出の拠点大企業だった。タツもハナもこの話は願っても無いと、もろ手を挙げて勧めたが、芳枝には答えは出せないでいた。 その人のことを、芳枝はもちろん知っていた。この1年芳枝をお気に入りで、お座敷には必ず呼ばれた。「けいこ(芳枝の半玉時代のお座敷名)は賢い、賢い」と可愛がった。お座敷では朗らかな、身なりのきちんとした太ったおじさんだった。明るくさばけていて、芳枝の家の事情もよく心得ていて、よく小遣いなどもくれた。異性として見るには年が離れすぎているが、父を知らない芳枝にはどことなく甘えられる存在でもあった。津路先生も変わらず座敷に通っていてくれてはいたが「まだ体が子供だから」という理由で、水揚げは断るともなくお茶を濁していた。   そして、ある秋の日 17歳の芳枝は決意する。 津路先生から、そして自分の哀しい少女時代から逃げ出したい一心で、「30以上も年の離れた、大日本精糖の社長さんの水揚げ」を承諾したのだった。 花柳界という荒波に、たった一人で遂漕ぎ出した瞬間だった。
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