東京 川辺の物語

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第1章 1 柳橋 寿美屋 「寿美屋(すみや)の皆さん、こっちですよ!」 群衆から頭一つ出た勝野は、カンカン帽を振って叫んだ。 上野の山全体が、着の身着のままの被災民でごった返しているのだが、勝野は顔立ちも体格も日本人離れして目だつので、女たちは彼をすぐに見つけることができた。 「やあ 良かった、皆無事ですね、登ってしまえば一安心だ」 女たちを励ますと、ハナが後生大事に提げて来た、水を満たしたヤカンを持ってやった。必死の形相の群衆の中で勝野だけが、まるで花見にでも行くようにゆったりした笑みさえ浮かべ、大股で悠々と歩く。タツ、キク、ハナ、芳枝やハナの二人の子供たち、女中たちは、はぐれないよう手をつなぎあって勝野につづく。  大正13年9月1日、関東一円をマグニチュード8の激震が襲った。揺れが収まると下町のあちこちで失火し、炎は虫食いのように広がって家並を飲み込んでいった。 料亭「寿美屋」は隅田川沿い。江戸以来の花柳界、柳橋にあった。一帯は「江戸」そのものの木造のしもた屋が密集している。火は防ぎようがなかった。人々は命からがら、両国の陸軍被覆省か、上野の山を目指して逃げ上ってゆくのだが、キクの「旦那」勝野の麻布の屋敷から連絡が入り、上野公園で落ち合うこととなった。これは幸運な運命の分かれ道だった。なぜなら被服省に避難した3万とも5万とも言われる人が「火事突風」に巻き上げられ焼け死んでしまったのだから。被服省跡地は、現在は慰霊碑の立つ被服廟となっている。  寿美屋の女たちは手拭いで口鼻を覆い、残りの手で仲間の袖や腕につかまって振りむきもせず一心不乱で歩いてきた。今、勝野と落ち合って、上野山から来た方角を振り向くと、見渡す限りが燃え盛り、空一面には黒煙が渦巻いて、天と地の境目すら判らぬ有様だ。 「あ!十二階が!」  
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