21人が本棚に入れています
本棚に追加
1、大正13年 関東大震災で消えた「江戸」
第1章
「炭屋(すみや)の皆さん、こっちですよ!」
群衆から頭一つ出た勝野は
カンカン帽を振って叫んだ。
上野の山全体が、
着の身着のままの被災民で
ごった返しているのだが、
勝野は顔立ちも体格も日本人離れして目だつので、
女たちは彼をすぐに見つけることができた。
「やあ 良かった!皆無事ですね、登ってしまえば一安心だ」
女たちを励ますと勝野は、ハナが後生大事に提げて来た大きなヤカンを持ってやった。ヤカンには水が充してある。
必死の形相の群衆の中で勝野だけが、まるで花見にでも行くようにゆったりした笑みさえ浮かべ、軽々とヤカンを提げ、大股で悠々と歩く。柳橋で置屋兼料理屋を営むハナ、その母親タツ、ハナの姉で元柳橋芸者のキク、その娘、芳枝と、ハナの二人の子供たち、住み込みの女中や芸者見習いの少女たち、総勢10人が、それぞれはぐれないよう手をつなぎあって勝野につづく。勝野はキクの旦那(金を払って芸者を退かせたパトロン)で、キクと麻布区芝(現在の港区芝)の屋敷に住んでいるのだが、大揺れが収まってすぐ、キクの実家、柳橋の炭屋を心配して飛んできたのだった。
大正13年9月1日、関東一円をマグニチュード8の激震が襲った。正午前のことで、揺れが収まると下町のあちこちで失火し、炎は虫食いのように広がって木造の込み入った家並を飲み込んでいった。
料亭「炭屋」は江戸以来の花柳界、柳橋にあった。隅田川の河口近く、一帯は「江戸」時代のままの木造のしもた屋が密集している。火はあっという間に広がり防ぎようがなかった。人々は命からがら、両国の陸軍被覆省か、上野の山を目指して逃げ上ってゆくのだが、キクの「旦那」勝野の麻布の屋敷から連絡が入り上野公園方面で落ち合うことにした。運命の分かれ道だった。上野の山を避難地に選んだのは、幸運だった。なぜなら被服省に避難した3万とも5万とも言われる人が「火事突風」に巻き上げられ焼け死んでしまったのだから。被服省跡地は、現在は慰霊碑の立つ被服廟となっている。
炭屋の女たちは手拭いで口鼻を覆い、残りの手で仲間の袖や腕につかまって振りむきもせず一心不乱で歩いた。今、上野山から来た方角を振り向くと、見渡す限りが燃え盛り、空一面には黒煙が渦巻いて、天と地の境目すら判らぬ有様だった。
「あ!十二階が!」
幼い芳枝が、悲鳴のような声を上げた。
凌雲閣(通称12階)は「東洋の摩天楼」と呼ばれた商業タワーだった。
最初のコメントを投稿しよう!