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昭和11年、栄依子は荒川区立赤土尋常小学校に入学した。3級上の兄の利夫は「全甲の坂井」として知られていて、比べられるのは嫌だったが、反面、目立ちたがり屋なので注目されるのは嫌でも無い。入学式には上野の松屋で誂えたチャコールグレーのワンピースを着て登校した。つやつやするサテンの白い丸襟がついたワンピースは、登代子、栄依子、登志子の三姉妹お揃いで、葡萄酒色のフェルト帽子も母、ワカの趣味でお揃いだった。
「帽子を後ろからスッポリかぶるのは野暮ったいの」ワカは断言した。なにもかも「東京式であるかないか」が彼女の基準である。真上から目深にかぶるのが東京のモガスタイルなのだという。栄依子は母の言葉に素直で、目深にかぶって得意に思った。下町の学校だから靴を履いてくる子も珍しい中、姉妹は革靴を履いて登校した。尾久のプチブルジョワ姉妹誕生だった。
クラスには栄依子の家で持っている長屋の子供もいた。「級が一緒になっても長屋の子と遊ぶんじゃあありませんよ、言葉が汚くりますからね」というのがワカの口癖である。(尾久は長屋ばっかりなのに、長屋の子と遊んじゃいけないんじゃ、いったい誰と遊べばいいの)しかし栄依子は素直に母の言葉を信じる。長屋の子を一段下に見た。
ワカは明治5年、神田三崎町の葉茶屋問屋に生まれ、共立女子の前身である駿河台の女学校出身である。本当の名前は「閼伽」と書いて「あか」とよむ。梵語(サンスクリット語)で「清い泉」「仏に捧げる水」というような意味で、ラテン語の「アクア」と同語。しかしこの時代「あか」といえば「共産党員」の隠語であり、差別的に使われたので「ワカ」を呼び名にしていた。
駿河台の女学校を卒業後、当時、数少ない女性の職業「電話交換手」となった。色が浅黒く小柄で骨が細い。中高の小さな顔。目は大きいが、大きな鼻。すっきりした容貌だが「美人」というのとは違う。女学校時代に身に付けた山の手言葉と神田の江戸言葉を時々使い分けた。趣味は長歌三味線、教育熱心で几帳面、マヨネーズを手作りするようなモダンさもあった。そのワカの目には、東京とはいえ、荒川べりの新興地、尾久の風俗は、田舎臭くて不潔に映ったらしい。子供たちの言葉遣いを厳しくしつけ、朝も学校に行く時「いってきます」と言うとやり直しをさせられた。「いってまいります」と言うのが正しいというのだった。
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