8 花柳界の荒波に乗り出して

8/17
前へ
/114ページ
次へ
 さて、当時の習いとして五頭日と盆暮正月(その頃は「やぶ入り」と呼んだ)は作業所は休みで、職人も小僧も休みだった。普段、坂井家の食事は、家族も職人と同じオカズをワカが十数人分を準備したが、休日はテンヤモノ(店屋物)をとったり外食したりした。  子供たちは外食を楽しみにしていた。夫婦と子供5人が着飾って、円タク2台に分乗し、浅草で映画を観た後(ワカと子どもたちが映画を見ている間、藤平は寄席で落語や浪曲を聴いた)、米久(よねきゅう)ですき焼き、三定(さんさだ)で天丼を食べたりした。上野の松屋で買い物をし大食堂で食事をする時もあった。  栄依子は大食堂のホットケーキやアイスクリームが気に入りだった。リヤカーを引いたおじさんが売りにくる「アイスクリン」なら日頃食べているが、銀のお皿に丸く盛られた「アイスクリーム」は特別だ。皿の下にはレースペーパーが敷かれ、満月みたいなアイスクリームのてっぺんに赤く染まったサクランボが乗っている。それを銀の小さなスプーンですくって食べる。  登世子、栄依子、登志子、一番下に生まれた昌子は、揃いのワンピースやコート、モガ風帽子をかぶせられ、ワカが履かせるたびに「舶来ですよ」と言いきかせるウールの長靴下に革靴で着飾った。夫婦は子供たちを着飾らせて連れ歩くのが楽しみだったのだ。長男の利夫は「俺は行かない」と言って家で待っていることが多くなった。代わりに食事代をもらって蓬莱屋から「カツ丼」をそいって、食べ終わったら寝転がって本を読む。うるさい姉妹が居ない家は静かで居心地が良かった。  その頃は一年の決まった時期に「やってくる人」というのが居た。例えばお正月は「獅子舞」、秋には「クマノシュゲンサン」がどこからともなくなくやってきた。大晦日には「吉野町の衆」が木工所の掃除にやってくる。それは一組の大人しい中年の夫婦だった。親しげに挨拶をして、持ってきた箒やハタキで木工所内を綺麗に掃きまわり、ガラス戸を拭き揚げ、おが屑など残さず片づける。終わると藤平が「まあ、一服つけな」と火鉢から炭をひとかけ火箸でつまんで土間に投げた。すると彼らは土間に投げられた炭から火を取って、しゃがんだまま煙草を吸った。どうして煙草盆を出してあげないのか、栄依子は不思議に思った。手間賃も手渡しはせず、藤平が土間に投げ銭をして、彼らはそれを拾うと言うやり方だった。
/114ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加