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若い頃のキクの写真は一枚だけ残っている。
若いと言っても30くらいにはなっている。
豊かな黒髪は「つぶし島田」という髪型だそうだ。島田というのは未婚の娘の髪型だが、その変形の「つぶし島田」は当時、芸者など粋筋の女に流行ったヘアスタイルらしい。レースの半襟を広く出しているのは大正時代の流行り。縞の着物に縞の帯をすっきり着こなしている。
指に大きなダイヤモンドをしているのは「いい旦那」がついている証拠。容色のピークは過ぎた年齢だが、柳橋芸者としての洗練を極めている。
昭治によると、キクは当時の女としては背が高く、痩せ型の体つきは生涯通して変わらなかったらしい。細面、中高の輪郭。眦の切れ上がった大きな目、鼻筋の通った高い鼻。
こう書くと全く陳腐な美人の描写になってしまう。がしかし、美貌とは、本来、整えば整うほど個性が消えて陳腐にならざるを得ないのだが、キクの個性は、その表情にあると筆者は感じた。
写真のキクは、首をややかしげ眼差しを右に流している。特に印象に残るのは口元だ。微笑まず、きゅっと結んでいる。
大粒のダイヤをした手でショールをつまんでいるポーズはすっきりして粋だが、現代の私が想像する「芸者」という職業とはかけ離れた印象だ。つまり、男相手の商売なのに愛嬌というものが無いのだ。「媚びる」どころか、男を突っぱねているようにすら見える。それは女から見ると小気味いいが、お座敷に遊びに来た男性からするとどうなのだろう。
「美人ですね…美人であることは認めますが…」となるまいか。
それとも、この凛然とした美人が微笑む時、「値千金」となるのか。
一方で、この、つんと澄ましたキクの表情に、とても合点もいく。つまり、これが当時の「柳橋芸者」の美意識なのだろうと。
金なんかじゃなびきませんよという「矜持」である。それはそのまま、江戸っ子の美意識にも通じる。「粋ではあるが下品にならず、色気はあるが清潔である」この微妙な江戸前の美意識は、現代ではたぶん絶滅した。
キクの生き方を振り返ると、この写真が全てを物語っているようにも思える。
柳橋芸者は「芸しか売らない」という看板である。だが、実際の花柳界とは所詮、人身売買の世界である。なのにキクはどんなに金を積まれても気に染まないお客は袖にする「意気地の芸者」の典型だったという。
芸者を生業にするには生まれ持った気位が高過ぎた彼女が、決して安逸な生涯を送らなかったのは、晩年が戦争に重なるという不幸もあるが、「柳橋」花柳界が、その敷居の高さによって、昭和に入って自滅してゆく軌跡と重なって見える。
では、キクの嫌った「芸者的な生き方」とは何どういうものなのか。
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