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 一段、また一段と段数を経る度に、私の拍動は落ち着きを失くしていく。  ドクン、ドクン。  耳障りなその音が、聴覚的な不便利さを助長し、耐え難い恐怖を(もたら)す。  それが私にとっては心地良いのだ。逃げ出したいほどの恐怖を、私はずっと待っていたのだ。  暗闇を照らす存在がこのちっぽけな光しかないことには、もはや一抹の不安もない。身を刺すような恐怖を、身を焦がすような驚異を目の前にして、それを確かめないのではホラーフリークの名が廃る。  そのような退廃的思考で、やっと階段を登りきったという頃、私は違和感に気付いた。 「……音が、止んだ?」    相変わらず煩い心音はこの際無視するとして、先程まで鳴っていたあの音が突然消えていることを憂慮しよう。  なぜ、だ?  私の気配に気付いたのか。それとも、ただの偶然なのだろうか。  分からない。  それが怖い。だから恐い。  けれども、歩みは止まらない。震えも止まらない。  私は今、身悶えするような恐怖に歓喜している。  そうして、私は一つの扉の前に辿り着いた。掠れた字で何やら書いているようにも思えるが、暗いせいもありよく見えない。  で、私がなぜこの扉が件の物であると断定し得たかと言えば、嗅覚に依るところが大きい。  臭。異臭。悪臭。腐臭。  腐ったものがどんな臭いをするかなど私は知らなかったが、恐らくこれがそうだ。  とてつもなく不快な臭気が私の周りに纏わりつく。開けた場合の状態が容易に想像つく。  浮世離れしたこの場所で、服に臭い移りしたら嫌だなと、そんな俗的な考えが浮かぶ。  視線を、感じる。  背後から――ここは二階の廊下の突き当りなので、廊下の中端辺りから尋常じゃない気配を感じる。  どの辺りか分かる程度に、はっきりとした、気配。  振り返ることを私は、珍しく躊躇した。  吐き気を催すほどの臭気と、険悪感を齎すほどの視線。  その合わせ技の前に、私は、思考が錯綜する。  脂汗が垂れる。  ドアノブに掛けた手は震えている。  私は、恐怖の真っ只中にいる。  意を決して振り返ると。  やはり、何もいない。  通った時は閉まっていた筈の扉が開放しているだけで、何も変わっていない。  変わって、いない。  私は、再度、振り返った。  ――ドンッ!  と、一度大きな音がした。  
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