10人が本棚に入れています
本棚に追加
木枯らしが教室の窓を叩く。窓の内側では世界史の授業。先生は第一次世界大戦の兵糧について静かに語っている。生徒達は一切の私語をせず、代わりにシャープペンシルの筆記音だけを教室に響かせていた。
僕はこの進学クラスの一員だ。筆記用具は筆箱の中。机の上にあるのは、世界史の資料ではなく生物の教科書。
僕の右隣の列、三つ前の席に彼女は座っている。彼女の短い黒髪は素直すぎるストレートで、重力に引かれるがままストンと垂れていた。その背中はグレーの厚手なカーディガン。濃紺のブレザーを椅子の背もたれにかけている。
彼女の名前は、黒崎。黒崎結衣だ。
彼女と話したことはない。さして彼女と話してみたいとも思わない。けれど僕は確かに、彼女のことばかり考えている。
後ろの席からは見えない、彼女の整った目鼻立ち。休み時間に友達と談笑する、彼女の明るくてしっとりとした声。どことなく幼児を思わせる、可愛らしい仕草。それらが僕の脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
僕はもう一度、座る彼女の後ろ姿を見た。これは恋、片想いというものなのだろうか。
僕は、彼女とお近づきになりたいわけではない。仲良くなりたいと思ったことはないし、ましてや付き合いたいだなんてこともない。
それでも、きっと僕は恋をしているんだ。そう、彼女に恋している。なぜなら僕は、彼女に強い欲望を持っているから。
僕は、彼女の細胞が欲しい。彼女を彼女たらしめる、その変わらない細胞が欲しい。
最初のコメントを投稿しよう!