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「ったく。勘弁しろよ、まじで。時間もねえっつーのに……」
男の人が、心底うんざりしたっていう口調でぼやく。
「あの、本当にごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」
わたしは慌ててその人の上から下りながら、もう一度謝った。
あのままだった、撥ねられてた。
時間がないのはこっちだって同じだけど――。
あ、時間!
「もっと周囲に気をつけて歩けよ!」
男の人は立ち上がってパンパンとお尻を払うと、そばに放ってあったケースを手に持って、信号とは反対の方へ歩いていく。
近くで見ても、やっぱりあのケースは楽器ケースだと思う。
しかも、横に長いあの形は、フルート。
そういえば、わたしのフルートは!?
慌てて、自分のフルートケースを確認する。
外から見た感じじゃあ、特に大きな被害はなさそうで、ひとまずほっとする。
さっきの人が、下敷きになってくれたからかもしれない。
本当に大丈夫かどうかは、吹いてみないとわからないけど。
これから公園に集合して簡単な音合わせをするから、それでわかるはず。
公園は、信号を渡って、二つ目の角を曲がる。
わたしは自分の進む方角と、さっきの男の人が向かっている方角を見比べる。
まるで異なる、ふたつの方角。
この時間、この場所に、楽器を持ってここにいる。
無関係って可能性もあるけど、もしそうじゃなかったら――?
「あのっ!!」
わたしは勇気を振り絞って離れてゆく背中に声をかけた。
「あ?」
不機嫌そうな顔が、こちらを振り返る。
「あの、二中の定演会場なら、あっちですよ?」
信号を渡ったその先の方を指さす。
二中は、わたしの母校だ。
それを見た男の人の顔が、きょとん、と目を丸くする。
さっきまでの不機嫌そうな顔からは想像もできない無防備な顔に、わたしはつい、どきりとしてしまった。
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