609人が本棚に入れています
本棚に追加
実家には姉夫婦がいるし正月に顔を見せに行くだけで、今さら戻ったらどうしたのかと心配されるだろう。一番付き合いが続いている大学時代のサークル仲間達とも、お互い時間が合わずに最近はなかなか会えない。そう思うと居場所は会社しかない。男の寄りどころは組織の中にしかないのだと、自分が金を稼ぐようになって切実に思う。定年退職した男達が、部長や課長という肩書が無くなると、自分の価値も失った気がして腑抜けになってしまう気持が今なら解る。
しかしその恐怖の先に志野はいる。嫌なら止めるべきだ。解っている筈なのに、気持ちが急いてしまう。
ふと思う。自分は無くすほど、何かを持っているのだろうか。家族も友人も仕事も大切だと思いながらも全て捨ててみたいと心の奥では願っているのではないか。
「志野さんは持っていますか」
「何を?」
「捨てられないもの。肩書とか家族とか、大事な人のことです」
志野は自分の左腕をもう片方の手で抑え、
「いる」
と言いすぐ首を振った。
「でも、もういない」
含みのある言い方だ。
「どういう意味でしょうか」
「言いたくない」
「解りました。いつか言いたくなったら教えて下さい」
「お前なあ……。なんでオレに構うんだ。この間のことは忘れろって言ったはずだ」
「それは……。志野さんと寝たいと思ってるから」
志野は目を瞠った。
「すみません。おかしなことを言ってしまって。でも本心なんです」
「じゃあ一回やれば満足するのか」
「いいえ。それなら話は簡単です。俺が怖いのは志野さんと何度もそうしたいと思っているところです。人に白い目で見られても、あなたと関係を続けたい」
「オレが断るとは思わないのか」
「はい」
「どうして」
「志野さんも、俺としてもいいと思っているような気がするから」
最初のコメントを投稿しよう!