第二話

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 曖昧な否定が零れた。一瞬の迷いが伝わったのだろうか、するりと志野の腕が離れた。振り向くと、守に背を向けおぼつかない足取りで歩いていく。  お前には無理だよ、と小さい背中から伝わってくるようだった。正しい道を選んでいるまともな社会人がやくざを選ぶわけがない。  じゃあな、守。 「待ってください」  守の声は言葉にならなかった。  このまま行かせてしまえばもう志野は現れないような気がした。二人の時間が交わるのはこれが最後なのではないか。逃したら次は無い。  予感に突き動かされて咄嗟に追いかけた。周囲の雑音が消え志野以外の人々は背景に組み込まれてぼやけいていた。中林達の存在も霞んで消えていた。  手を伸ばし、肩を掴むと志野は振り返って守を見据えた。黒い瞳が底が見えそうなくらいきれいだった。そこに守が映っている。清流のようにきんと澄んだ瞳をすくって味わいたいと強く思った。  分岐点に立っているのかもしれない。  ここで志野と離れれば今までと同じ、会社へ通い、給料を貰って生活する変わり映えしないが穏やかな将来が待っているだろう。いつか相性の良い女性と出会い、交際して、身体を重ねた先に結婚があるかもしれない。自分に似た子供が産まれて、きっと祖母や両親は喜ぶだろう。出世の流れには乗れないかもしれず虚しい日々を送るかもしれないが、趣味を見付けてそれなりに楽しくやろう。いいじゃないか、上出来だ。あとは禿げないかどうかの心配だけしていればいい。  それでも、もし。  想像してはいけないと思いながらも脳裏はぼやけているが鮮やかな映像を流していく。 志野を選べば、きっと激しい愛を知るだろう。骨を溶かし精神をぐにゃぐにゃにさせて、時間も立場も忘れて感じ合ってしまう。まだキスをしたことすら無いのに、深く結びあってしまう気がした。恐ろしいのはそれが一方的な感情だと思えないところだ。
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