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解らない。守の常識を超えた先に志野はいる。だから教えて欲しい。もっと、もっと沢山のこと。
守は壁から手を離し、志野の頭に鼻を近づけた。柔らかい髪に鼻先を寄せると汗と埃の匂いがした。
「守」
志野の落ち着いた少し高い声が耳の傍でした。自分だけ勝手に切なくなり感情的になっているのが恥ずかしかった。身体に触れるか触れないかの微妙な距離が愛おしく、志野から立ち昇る体温が感じられるような気がした。
「志野さんが悪いんです。志野さんが俺と同じふつうの人だから……」
守は呻いた。本心だった。
「やくざが堅気と同じなわけないだろう」
「そうですけど……。俺と変わらないって思ってしまったんです。甘いものが好きだし、怪我してるし」
「ばかにしてんのか」
「違います」
気になるんです、と言う前に志野が守の首を強く引き寄せた。目の前に迫った淡く色づいた唇に心臓が跳ねた。
「お前ホモなのか」
「いえ。今まで女性としか付き合った経験はありません」
「ふうん」
「志野さんは?」
「聞いてどうする」
「どうって、知りたいんです。志野さんの生まれた土地のことや、家族のこととか……」
「お前に話せるほど、真っ当に生きてない」
志野が視線を下げ瞼とまつ毛が瞳を覆った。
「それでもいいです。教えて下さい」
「もう一度よく考えろ。オレといると嫌な思いをたくさんするぞ」
視線を戻した志野と目が合った。
「解っています」
「全部無くす」
志野に凄まれて身体が震えた。それは社会での立場とか信頼といったものだろうか。ぞっとする。毎日働く自分が脳裏に浮かんだ。
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